農事奨励委員の選出

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明治四十年代にはいると、害虫駆除は積極的に展開される。南埼玉郡役所は「害虫駆除ニ付テハ年々督励相加ヘラレ」ても成績不良なのは、農民が防除をないがしろにしているためだといっている。四十一年には苗代害虫駆除法として、耕作者は誘蛾燈を準備すること(三畝歩に一コ)、捕虫網を用意すること、三、四日に一回螟虫採卵を行うこと、田稗・雑草の抜取りなどを命じている。さらに石油を用意し水面を洗わせようとして、大字毎にその実行委員の選出を命じ、学校生徒による駆除まで申し渡した(明治四十一年「学務勧業収受書類」)。

 このとき計画され選出を命ぜられた病虫害駆除予防実行委員は、四十二年には農事奨励委員と名称を改めて各町村で選出されている。三月一日には桜井村安国寺で病虫害予防と牛馬耕の講話会が開かれたが、当時この会は各村でもたれていた。この年には慈恩寺村を中心として稲の根喰葉虫が発生している。同年八月桜井村では大字毎に一四名の農事奨励委員が選出されたが、この委員らの注意事項として害虫駆除施行要項が配布されている。これによれば委員一人当り耕作者一五戸ないし二〇戸を担当し、害虫の採取体制を整え、害虫駆除日誌をつけることになっていた。

 このような上からの強力な指導がどれほど効果があったかはわからない。しかし徐々に努力されたであろうことは想像に難くない。四十五年七月の桜井村の害虫駆除成績をみるとつぎのごとくである。

 苗代誘蛾燈害虫駆除成績

  誘蛾燈点火数、一二〇 点火苗代面積、四五反 点火せざる面積、六〇反

  点火期間 五月二十八日~三十一日 誘殺量 螟蛾、九匁 〓蛾、二匁 切蛆ガガンボ、一匁

 苗代螟川採取成績(学校生徒)

  螟蛾駆除苗代面積、一〇五反 螟虫駆除量、卵塊、一一四二コ 蛾、八匁

誘蛾燈の設置以外は依然として伝統的な駆除法が実施されていた。石灰ボルドー液・石灰硫黄合剤の使用はまだ始まっていなかった。