御膳細糯

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御膳細糯の名称の由来は定かでないが、江戸時代将軍家御用の糯米に指定された品種であったので、とくにこれを御膳糯と称したようである。細糯というのは、粒の形状を示したものであろう。江戸時代御膳細糯の御用取扱人は、瓦曾根村名主中村家が担当していた。

 中村家は明和八年(一七七一)十一月勘定奉行石谷備後守から御膳細糯買受人に指定され、天明四年(一七八四)閏一月「餅米御買上御用相勤」「出精相勤候ニ付」其身一代帯刀、名字は子孫迄名乗ることを許されている(『中村家文書』)。なお中村家は年々二〇〇俵から五〇〇俵の糯米を江戸城中御用として独占的に取扱ったが、この糯米は「御止め米」と称し、定められた場所以外で耕作したり販売したりはできなく、また耕作困難で収量が一反につき一俵も少ないため、幕府買い上げ時には他の糯米より一斗高の価格でもって計算したという(越谷市史(五)八〇頁)。明治期にはいっても中村家の細糯作付における独特の地位は続き、若干は周辺地域でも作付けされたと思われるが、そのまま大正・昭和期にひきつがれている。

中村家墓地