営業の変化

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これら諸営業の明治後期における消長をみてみよう。第59表は桜井村の明治後期における起廃業件数の変化である。起廃業とは、新しく営業を始める場合を起業といい、従来の営業をやめる場合を廃業という。明治二十六年の起業一五件の内容は箱製造二人、穀物小売二人、薬受売業二人、遊芸神楽人二人などのほか、苗木小売、和服仕立職、綿打職などである。廃業は箱製造二人、酒類小売二人、機製造二人、菓子小売二人、飲食店二人、傘製造二人などである。明治三十一年の起業は箱製造四人、菓子小売六人、飲食店四人などが多く、廃業はやはり箱製造四人、麦稈真田仲買六人、同卸売三人、質屋三人などがおもなところである。この年の起業の中には嗜好飲料物販売業が含まれているが、これはブドウ酒、プラム、紫蘇酒、亀ノ年などの販売営業である。

第59表 桜井村の起廃業変化表
年次明治26明治31明治35明治39明治44
起業1531324119
廃業2134291820

各年「起廃業収受書類」

 この頃まで兼業戸数の減少を反映し、廃業件数が起業件数を上回っているが、三十五年より逆転する。三十五年の起業は箱製造六人、飲食店六人、漁業七人が多い。逆に廃業は、飲食店の五人がもっとも多い。この年、桜井村には自転車がはいっている。三十九年の起業は箱製造が一二人で圧倒的に多く、ついでは漁業の五人である。その他は一八業種で起業がみられ、一二業種に廃業がみられる。この時期の特徴は、自家用醤油製造をやめるものが何人か出ていることである。四十四年の起業では、清涼飲料水(ラムネ)の営業がはじまっている。

 これら起廃業を通じて指摘できるいくつかの特徴は、まず第一にこの地域の兼業の中心をなす箱製造と塩煎餅小売のうち、前者は増加傾向にあり、後者は、若干の起廃業がみられるものの、明治二十年頃の現状を後期を通じて維持したと思われる点である。第二は明治三十一年に質屋は従来の四戸から一戸に減じ、三十五年にはなくなっているように、越ヶ谷町での銀行設立と質屋廃業とが関連していることである。第三は農業の変化と関連し、牛馬耕の導入と肥料統制との関連から、牛馬売買をする者が三十九年頃より現われ、この頃肥料販売者も淘汰されている。また三十年以降、麦稈真田関係の営業がみられるのも特色となっている。総じて、二十年頃にみられた業種が多少の変化をともないながら、後期を推移したとみてよいだろう。