桜井村における諸営業のなかに、二十一年の場合すでに鍛冶職、曲物職、建具職などが含まれているが、現実には職人の数はもっと多いようである。この村ではその後、屋根葺職、綿打職、形付職、大工職、木挽職などがみられたが、それ以前にも庭造職、粉挽、桶職、籠職などがみられている。市域全体についてみれば、もっと多種多様な業種があったと思われる。たとえば大相模村の西方では、明治十年代に以上の業種のほかに杣職、土方職、畳職、植木職、髪結職などがみられている。明治二十二年の桜井村職工調査によると、大工職八人、木挽職一人、杣職一人、桶職三人、綿打職八人、屋根葺職五人、庭造職二人、泥工職一人の合計二九人が存在する。うち八人は「弟子ヲ置ク者」であるが、そのほかはいずれも」弟子ヲ置カザル者」(越谷市史(五)一〇九頁)である。当時は個人的な営業が主であったようである。
これら職人のほか、当時はすでに日用稼すなわち日雇や月雇、年雇などの雇人が生じていた。農業には作男・作女とし、養蚕には養蚕日雇とし、また土木工事などの人夫や下男下女としてそれぞれ俸給を得る存在であった。これら職人および雇人の明治後期における賃金の推移をみると第60表のようになる。
年次 | 明治19 | 明治22 | 明治24 | 明治26 | 明治28 | 明治30 | 明治32 | |
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項目 | ||||||||
農雇 | 年男(年) | 18 | 18 | 18 | 18 | 16 | 25 | 25 |
年女(年) | 12 | 21 | 12 | 12 | 12 | 18 | 16 | |
杣職(日) | ― | ― | 0.16 | 0.16 | ― | ― | ― | |
木挽職(日) | 0.16 | 0.16 | 0.16 | 0.16 | 0.16 | 0.22 | 0.28 | |
大工(日) | 0.16 | 0.16 | 0.16 | 0.16 | 0.17 | 0.22 | 0.28 | |
左官(日) | 0.16 | 0.20 | ― | 0.16 | 0.17 | 0.22 | 0.28 | |
農日雇 | 男 | 0.10 | 0.10 | ― | 0.08 | 0.12 | 0.16 | 0.16 |
女 | 0.08 | 0.08 | ― | 0.06 | 0.00 | 0.13 | 0.12 | |
養蚕日雇 | 男 | ― | ― | ― | ― | 0.14 | 0.16 | 0.16 |
女 | ― | ― | ― | ― | 0.11 | 0.13 | 0.12 | |
機織女(月) | 0.40 | 1.20 | ― | 12(年) | 14(年) | 16(年) | 16(年) | |
染物職(日) | 0.10 | 0.15 | ― | 0.12 | ||||
和服仕立職(日) | 0.16 | 0.20 | ― | 0.16 | 0.20 | 0.25 | 0.28 | |
屋根職(日) | 0.16 | 0.15 | ― | 0.13 | 0.16 | 0.20 | 0.26 | |
建具職(日) | 0.16 | 0.20 | ― | 0.16 | 0.16 | 0.22 | 0.28 | |
植木職(日) | ― | ― | ― | ― | 0.16 | 0.22 | 0.28 | |
鍛冶職(日) | 0.10 | ― | ― | 0.15 | 0.16 | 0.22 | 0.28 | |
綿打職(日) | 0.18 | 0.16 | ― | 0.16 | 0.16 | 0.22 | 0.28 | |
桶職(日) | ― | ― | ― | ― | 0.19 | 0.22 | 0.28 | |
日雇人夫(日) | 0.8 | 0.12 | ― | 0.12 | 0.16 | 0.16 | 0.20 | |
下男(月) | 1.00 | 1.50 | ― | 1.50 | 8(年) | 18(年) | 25(年) | |
下女(月) | 0.70 | 1.00 | ― | 1.00 | 7(年) | 14(年) | 16(年) |
単位 円
これら給金の収入を実現するための条件についてみれば
雇人請証
南埼玉郡桜井村平方 てい
明治十五年八月九日生
右者私一家生計ノ為メ家内及本人ハ勿論、親族ニ至ル迄熟議之上、右ていナル者ヲ、当明治三十年一月廿三日ヨリ向フ壱ヶ年間、貴殿雇ニ差遣シ、給金拾三円ト相定メ、内金拾弐円請人立会、正ニ受取前借仕候処実正也。残金壱円ハ右てい申出次第時ニ御渡可被下候、右約定期限中、堅固ニ相勤候上ハ、紺木綿八尋物一反及縞弐反、裏地壱反、賞与トシテ可被下筈ニ候、万一本人身分ニ付貴殿ノ意ニ協ハザルカ、又ハ病気死亡其他ノ事故ニテ御解雇被仰付候節ハ前書受取候金額ニ壱ヶ年壱割八分ノ利子相添、直チニ返金仕候、(後略)
一四歳の少女が下女奉公に出たときの契約証である。年給一三円のうち一二円は前借金として親が受け取り、残金はその後に渡すことになっている。契約の一ヵ年季が終ったときには賞与として紺木綿一反、縞二反、裏地一反などが与えられることになっていたが、解雇されるか事故の場合は、高利をつけて前借金は返済しなければならないことになっている。たとえわずかな給金にしても一家生計の口べらしのためと生計資金の獲得のためには、きびしい下女奉公に耐えねばならなかったのである。