明治三十一年成立の県農会は、いまだ設立されていない町村農会の勧誘と既設農会の会員啓発をかねて各地に農談会を開いている。三十二年には県立農学校・県農事試験場の設立を建議し県会で可決された。一方では農談会が継続されるとともに、短期農事講習会や他県の農事改良事蹟調査にあたっていた。三十三年には前年の継続事業と新たに耕地整理事業をつけ加えられている。三十四年には郡農会の整備にともない、農事講習会は郡農会に一任し、特殊講習会の計画と稲模範共進会の開設、農会報の発行などを行なって郡・町村段階の農会活動の一助としている。三十五年には継続事業とともに堆積肥料の改良、模範町村是調査を実施しているが、これまでの活動成果は次のようになっている。
三十三、三十四両年に実施された農事講習では、県全体では一〇七三人、南埼玉郡は一一二人が修得証書を与えられており、農会活動の中心分子が育成されつつあった。これら講習生を中心として町村農会の振興を計るために開設された稲模範作共進会では、参加農会は一四二農会に達し、出品数も一七五六人に達している。出品苗代面積も九万二六六一坪に達し、これらは短冊苗代であったから県通達による改良方針が具体的な農会活動によって普及され発展していく状況をよみとることができる。このとき南埼玉郡では一八農会、二〇二人が出品し一三人が賞状を得た(「埼玉県農会報」第二五号)。
市域村々からは出羽村秋山源兵衛(太郎兵衛糯)、同中村福太郎(太郎兵衛撰出、長松、源六、榛名、晩烏)、大相模村秋山国太郎(中稲粳大撰出)、同吉田常七(晩稲粳、神力)、増林村江原理三郎(晩源蔵)、同今井晃(同)、蒲生村秋山勇之助(太郎兵衛)、同森田元吉(榛名)などが参加(「埼玉県農会報」第七号)した。なお、県農会主催の特殊農事講習会を明治四十二年に例をとれば、粕壁小学校において稲作改良法、果樹蔬菜、産業組合、肥料鑑定論、桑樹栽培法、養豚及養鶏などが各講師によって二週間講義されている。