郡農会成立当初五年間のおもな仕事は、短期農事講習会の開設、害虫被害村への種苗供給、重要農産物共進会の開設、稲模範作共進会の開設などであった。このほか三十四年には、北埼玉郡太田村耕地整理の実況視察員派遣(蒲生村浅見伝蔵ら)、他府県農事視察員派遣、大日本農会大会へ代表派遣などが行われている。短期農事講習は三十三年より実施される。全郡四二町村を一〇区にわけ、講習科目は米麦栽培法、土壌肥料試作、作物病虫害等であり、講習期間は二週間とされていた。同年十二月三日より第一回講習が第一区より順次開始されている。第二区に属する越ヶ谷周辺町村(蒲生、出羽、増林)は十二月十日天嶽寺で開かれ、「講習生四拾六名ニシテ写真師ヲ聘シ撮影」(越谷市史(六)二一八頁)したという。第四区の大袋、新方、桜井村の場合、三十四年一月十三日より二十六日まで大泊安国寺で実施されている。詳細は不明であるが、初回のこともあってか、「当会ノ如キハ修了不結果」(明治三十四年「学務勧業収受書類」)といわれている。このとき郡全体で講習修得証書を与えられたものは四二三人に達した。
第二回は同年十二月六日より十九日まで越ヶ谷町天嶽寺に開かれている。このとき、桜井、新方、蒲生、増林、越ヶ谷、大沢、出羽、荻島、大袋、大相模村の諸町村が合同して行われている。この三十四年には郡北部村々苗代に害虫(キリウジ)が発生し、苗代が潰滅したため、郡農会では南部村々より残苗を供給した。このとき大相模村二四〇〇束、増林村一万二〇〇〇束、出羽村七〇〇束、荻島村五五一六束、大袋村三五八一束、桜井村四一三七束、新方村一五〇〇束、蒲生村数千束が送られている。