地主の性格

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またこれら地主層の性格をみると、第71表のようになる。南埼玉郡内の一〇町歩以上の所有者の兼営する収入を示したものである。ほとんどの地主は株券・公債を所持し兼業収入を得ているが、圧倒的に貸金収入が多く、貸家、俸給収入も何人かにみられる。諸営業とは味噌醤油売上収入、染物業、穀物商、織物、木綿業、荒物、藍玉葉などの各種である。これらは土地所有の規模にほとんど関係なしに兼営されており、それらの資本は生産資本というよりは商業資本としての性格がつよかった。

 
第71表 地主層の所得業種一覧表(明治30年)
株券公債 貸金 酒造肥料 俸給 その他諸営業 貸家
町歩未満
10―12 38 30 14 2 8 4
12―15 49 29 22 1 6 7 5
15―20 41 26 17 1 4 4 4
20―30 49 37 22 4 5 8 3
30―40 20 16 12 2 5 4
40―50 11 7 7 1 3 1
50―70 5 4 3 1 1
70―100 4 3 1
100以上 3 3 3 3
合計 220 152 103 7 21 39 21

越谷市史(五)117頁

 以上は南埼玉郡全体の傾向であるが、市域村々の状況について、明治四十四年の多額納税者の納税内訳をみれば第72表のようになる。当時の市域内における上位一〇人の地主を掲げているが、いずれも直接国税七〇〇円以上を納める者である。この一〇人の合計国税額は九七二七円余である。このうち土地に課税される地租は七六八五円余で、国税総額の七九%に当る。また土地に関する所得税は総額の一一・四%である。この二つを合計すると、九〇%余が土地に生ずる国税であることがわかろう。残り約一〇%が営業税ないし営業所得税であり、これらは味噌製造業、醤油製造業などの生産に関するもののほかは、肥料商、物品販売業、商業などの商業収入と金銭貸付業からの収入であった。

     
第72表 市域の多額納税者(明治44年)
直接国税 地租 所得税 営業税 備考
土地所得税 営業所得税
円銭 円銭 円銭 円銭 円銭
①斎藤益太郎(大相模村) 1,234.15 865.64 116.71 92.68 159.12 味噌製造業
②山崎長右衛門(越ヶ谷町) 1,137.39 848.20 145.55 47.24 96.40 肥料・金銭貸付業
③細沼貞之助(大袋村) 1,127,19 944.66 182.53
④高橋慶助(出羽村) 1,080.03 939.61 94.84 11.25 34.60 金銭貸付業
⑤大野伊右衛門( 〃 ) 1,071.34 776.0 144.33 39.76 111.25 商業
⑥松本利兵衛(越ヶ谷町) 885.56 703.89 88.44 8.46 84.77 醤油製造業
⑦仁科仁兵衛( 〃 ) 870.52 736.0 78.55 10.85 45.12 物品販売・金銭貸付業
⑧小泉市右衛門( 〃 ) 862.97 579.77 96.82 61.38 125.0 物品販売業(呉服業)
⑨清村善蔵(蒲生村) 748.85 668.24 80.61
⑩関根右衛門太( 〃 ) 709.49 623.18 86.31
合計 9,727.49 7,685.19 1,114.69 271.62 656.26

越谷市史(五)134頁

 明治期を通じて地主層は、味噌、醤油、酒造などの穀物を主体とする加工業と、商業、金貸し業を併有する性格を色濃くもっていたのである。これら営業を通じて土地兼併を進めている。最大の大相模村斎藤家が所有する土地はすべて村内であるのに対し、越ヶ谷町山崎家は町内のほか桜井、出羽、荻島、増林、大袋村など一二町村に土地を所有していた。