鈴木銀行の設立

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鈴木銀行は明治「三拾壱年壱月十日、越ヶ谷町仲町伊勢屋構内」(越谷市史(六)二一六頁)に開設されている。伊勢屋とは町の有力者有滝家である。北葛飾郡幸松村(現春日部市)の鈴木兵右衛門、同善五郎、同松太郎らによって設立された鈴木銀行は、三十年十一月に提出された設立願書によれば、資本金一〇万円の「貸附金及ビ預リ金」「証券割引及ビ代金取立」および「為替及ビ荷為替」(越谷市史(五)一六七頁)を主要な業務とする合名会社であった。

 この設立願書に添えて提出された南埼玉郡長および県知事の、銀行設立に関する調査書によれば、設立地の越ヶ谷町は米穀、肥料、木綿等の生産地で流通上の要地であるにもかかわらず、従来商事会社の設立もないので、銀行の設立は時宜を得たものと述べている。越ヶ谷市(いち)における主要な取引物品の米穀は、月間取引額三万円前後にのぼり、肥料および木綿も米穀に次ぐ状況であったという。これら市場取引における商業金融に便宜を与えるものとして生まれたのが、鈴木銀行であった。

 明治三十年十二月十一日銀行設立が認可されている。頭取は鈴木兵右衛門、その弟鈴木久五郎は日本橋小網町に開設された鈴木銀行の東京支店長であった。