越ヶ谷貯蓄銀行の開設

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鈴木銀行が設立されてまもなく、なお二つの銀行設立計画書が相前後して提出されている。一つは弘益貯蓄銀行であり、他は越ヶ谷貯蓄銀行である。いずれも三十一年三月に出願されているが、すでに鈴木銀行の存在する越ヶ谷町にさらに二行設立することの意味が、地理的にも物質集散上からも問題になっており、七月には県の指導により新設を出願した両行の合併が実現している。合併の条件は、統一された銀行名は越ヶ谷貯蓄銀行とすること、設立願書はあらたに提出しなおすこと、株数は合併した双方で半々に募集すること、営業所は鈴木銀行内に設けること、などであった。

 これら銀行発起人は第74表のごとくなっている。いずれも農村部においては大地主でかつ村長ないしは村長につぐ名望家であり、これら人びとと越ヶ谷町の有力商人とが結んで設立にのり出したのである。越ヶ谷市(いち)における穀物蓆類呉服雑貨等の年間取引一五万二八〇〇駄、おおよそ八四万円にのぼるこの取引金高の、預金獲得を目的とした設立であった。資本金三万円で越ヶ谷町一三七番地に設立された越ヶ谷貯蓄銀行は、同年十一月二十九日に正式に認可されている。

第74表 越ヶ谷貯蓄・弘益貯蓄両銀行の発起人調査表
発起人氏名 職業 地位 信用 資産
越ヶ谷貯蓄銀行 町反
井出庸造(出羽) 村長 上流 厚シ 耕宅地山林 48.7
滝田文右衛門(増村) 藍商 47.8
荒井吉右衛門(出羽) 染物商 中等 24.4
会田本太郎(〃) 農業 11.5
中村悦蔵(〃) 17.5
小泉市右衛門(越ヶ谷) 呉服商 上流 30.9
中川源吉(〃) 穀物商 10.7
大野久三郎(〃) 荒物商 10.0
弘益貯蓄銀行 田中源太郎(幸松) 農業 上流 厚シ 耕宅地山林 144.8
田中又(〃) 商業 アリ 31.9
尾崎麟之振(大袋) 村長 中等 13.3
栗原永喜(〃) 商業 12.0

越谷市史(五)170頁

 株式会社越ヶ谷貯蓄銀行の株主は、最高が田中源太郎、田中又の各一〇〇株であり、七〇株の滝田文右衛門、五〇株の鈴木兵右衛門、同久五郎、三〇株の鈴木善五郎、尾崎麟之振、栗原永喜、井出庸造らが大株主であった。取締役には滝田、井出、栗原のほか鈴木善五郎が就任し、頭取は栗原永喜であった。株主・取締役ともに鈴木銀行と密着した関係となっている。この銀行はこの年十二月二日に開業されている。