動員体制

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明治十九年十月九日の陸軍省令による陸軍召集条例では、召集旅費支出規定、召集区分、召集条例事務細則が付されている。さらに予備役・後備役の召集制度等は明治二十三年から同二十六年にわたって整備された。とくに明治二十五年頃より予備役・後備役の召集、つまり勤務演習や簡閲点呼召集が頻繁におこなわれ、緊急動員に応じうる準備が進められた。

 明治二十五年九月十三日の南埼玉郡長島崎広太郎による各村長宛の訓示に「凡ソ在郷軍人ノ召集ハ(中略)其種類ニ依リ緩急アリト雖モ就中充員召集後備軍召集ハ最モ迅速ヲ要セリ、故ニ平常ニ於テ其準備ヲ整ヘ、而シテ召集ニ関スル名簿ハ(中略)各自異動アル毎ニ筆削ヲ加ヘ常ニ明瞭ナラシム可キハ勿論ニ候処、是迄点呼召集執行官ニ於テ町村役場ニ備アル召集事務ヲ点検シタルニ諸名簿記載法区々ニシテ(中略)不都合不勘候(すくなからず)」とあって、事務整理を行うべき旨をのべているのはこの間の事情をあらわしている。動員体制への対応は、南埼玉郡徴兵慰労義会においても行われる。予備役・後備役・帰休の兵員が戦時事変で召集された時の家族慰問の規定が新たに設けられた。すなわち出征家族への金品贈与、出征兵士が死傷した場合の家族への弔祭料や扶助料の贈与、そして召集に応じたため家計困難な家族への義捐金の募集による扶助規定等が追加され、ここに在郷軍人召集の体制が確立してくる。

 明治二十七年七月四日、南埼玉郡書記江藤清より各町村に「朝鮮事件漸ク切迫ノ景況ニ付何時充員召集有之哉モ難計ニ付召集準備ハ此際一層注意ヲ加ヘ召集ニ当リ、聊カ渋滞無之様御取扱相成度」と達しがあり、町村も日清開戦に向けての体制をとるにいたった。