戦勝祈願

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各町村では戦争がはじまると、地元の神社に参拝し、戦勝の祈願を行なったが、桜井村では毎月一日、十五日、二十八日氏子一同村社に参集し、出征兵士の武運長久、国家安全の祈願祭を執行することになっていた。

 ことに大相模村西方の不動尊(真大山大聖寺)では、勝軍不動と称し、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原戦にあたり、徳川家康が当不動坊で戦勝祈願を執行、大勝を得た故事にならい、三十七年四月十四日から二十四日まで、日露戦役戦勝祈願が執行された。このときは不動尊を開帳し、開扉大護摩秘法ならびに大勝金剛御修法を執行するとあって参拝客が群集したという。さらに同年九月四日は同寺の定例会式にあたるが、同寺管主がとくに国家鎮護の洛刃秘法を修すと伝えている。このとき東武鉄道は、例によって越ヶ谷と蒲生両停車場の乗降客に対して三割引の往復切符を発売し、粕壁・越ヶ谷間は三〇分ごとに臨時列車を運転するなど、参拝客の便宜をはかった(『東武新報』)。

 また桜井村平方林西寺では国民援護仏教大演説会を催し、戦時下国民の心構えと仏加護の祈願を行うことを訴えている。さらに南埼玉郡役所でも、皇威宣揚・武運長久の祈願執行を郡下の全寺院に通達しており、地元の神社や寺院を中心に、各所で戦勝祈願が行われた。このほか各町村では、遠く榛名山や大山阿夫利神社の神符をとりよせ、応召者の守札としてこれを出征家族に交付している。