日露戦争はその緒戦から日本軍の連戦連勝で、国民は喜びに沸きたった。ことに三十七年八月の遼陽大合戦の勝利や、三十八年一月の旅順陥落の報道が伝えられると、そのつど各地で盛大な戦勝祝賀会が挙行された。たとえば南埼玉郡では三十七年八月、郡役所主催により粕壁中学校で花火を揚げての官民合同大祝捷会を挙行しているが、当日は東武鉄道でも午前と午後各一回の臨時列車を増発し、粕壁駅乗降者に限り、割引乗者券を発行していた。この祝賀会には桜井村で二〇名ほどが参加した。
また越ヶ谷町でも同年九月七日、官民合同大祝捷会を挙行したが、この有様を『武総新報』によってみると次のごとく、「南埼玉郡越ヶ谷町にては、去る七日を以て官民合同大祝捷会を挙行せり、全町各戸には国旗と軒提灯を出し、町の中央に緑門を設け、一大国旗を交叉し鶏明より花火を揚げ、花火の第一号砲を合図に音楽を奏し、出征軍人の家族を賓客とし、(中略)学生の君ケ代、各惣代の祝辞等あり、次て宮内大臣・陸海軍両大臣へ祝電を発して式を了り、夫れより学生一同音楽隊を先頭に旗行列をなし、午後六時よりは官民一同の提灯行列を挙行せり、当日集合せし人員は一千余名を以て数へられ、非常の盛会なりし、また同町久伊豆神社境内に、遼陽占領の記念として松樹一本を移植し、之を勝鬨と命名したる由なり」とある。
このほか桜井村では同年十月、日露戦争戦勝祝賀大運動会を桜井小学校々庭で開催、旅順陥落には各戸に国旗を掲揚してこれを祝った。
また出征兵の復員にあたっては、徴兵慰労義会が中心となって凱旋祝賀会が行われたが、桜井村では明治三十九年七月十七日、桜井村出身出征軍人五三名、戦没者遺族二名を迎え、桜井小学校で祝賀式が挙行されている。このとき凱旋軍人と遺族には、金一円の酒肴料と桐箱入木盃、それに感謝状が贈呈された。また多くの町村は、戦勝を記念して日露戦争記念碑を建立したが、この除幕式を兼ねた凱旋祝賀会を執行したところが少なくなかった。たとえば出羽村では三十九年十月二十六日出羽小学校々庭に凱旋記念碑が建てられたのを機会に、増林村では同年十一月護郷神社に乃木希典題による忠勇碑が建てられたのを機会に、蒲生村では四十年五月五日、大山元帥揮毫による記念碑が建てられたのを機会に、それぞれ除幕式を兼ねた出征軍人凱旋祝賀会が挙行された。なお越ヶ谷町の記念碑建設費は金七九円八銭で久伊豆社境内に建立された。