産業組合と地主

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明治三十三年に成立した産業組合法により信用購買販売の事業をおこなう組合が認められ日露戦後に全国的に普及した。この組合は資本主義経済による農業・工業間の不均衡の矛盾を緩和する手段として期待された。政府は産業組合の保護政策をとり、組合の設立を奨励した。埼玉県においても各町村毎に吏員を派遣し産業組合設立に関する講話会を開き奨励策をすすめた。

 桜井村では、明治四十一年十一月八日に大泊安国寺において、村内指導者二二名の出席のもとに講話会が開催されている。越谷市域では、明治三十九年に大相模信用組合、四十年に大沢信用組合、四十三年に東小林信用購買販売組合、四十五年に五六人の加盟をもって桜井信用販売購売組合の結成をみている。

 明治四十一年八月、南埼玉郡役所は各町村に地主を組合員として加入させるようとくに通牒を発している。地主小作関係については、埼玉県では明治四十一年以降小作慣行調査を実施している。このうち四十一年度における桜井村の地主小作関係の報告では、地主団体の組織はないこと、小作人に対する保護には肥料購入金の貸与を行うことがあること、地主と小作人との間の葛藤はないが凶作の年は協議の上に小作料の減免を行うのが通例であること、などが記されている。

 また四十四年頃から地主会の結成にむけて地主による懇談会が開かれるようになったが、同年南埼玉郡においても地主有志による茶話会が粕壁町で行われている。さらに四十五年八月には、地主を対象とした郡農会主催による懇談会が岩槻町で開かれた。このときは兵庫県米穀検査所長などが招かれて農事改良の講話を行なっている。