地方税の制限

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日露戦争の戦時財政計画による増税は、明治三十七年四月第一次の非常特別税法によってまずおこなわれた。この税法は地租、営業税、所得税、酒税、砂糖消費税、醤油税、登録税、印紙税、関税その他の増徴、ならびに毛織物及び石油に対する消費税の新設を定めたもので約六一〇〇万円の増徴を図ったものである。

 翌三十八年一月この非常特別税法が改正され、直接・間接の国税については全面的な第二次増徴が行われ、さらに通行税・相続税が新設され、塩専売が創設された。政府はこの増税によって国民に大きな負担を強いたが、反面、地方経費を緊縮させると同時に、府県その他の自治体の附加税に制限をくわえた。それは国民の負担を軽減しようとするものであったが、地方税を制限しその分を国税として増徴し、戦時財政を支えようとするものであった。

 非常特別税法では、府県に対し地租附加税は本税の一〇分の五、反別割は一反歩平均四〇銭、市町村に対して地租附加税は一〇分の三、反別割は一反歩四〇銭、営業税及び所得税の附加税は本税の一〇〇分の三〇を超過して課税することが禁じられた。また内務・大蔵両大臣の許可によっておこなわれた制限外課税も大幅に制限された。このような規定は戦後に制定された地方税法の先駆をなしたものである。

 また明治三十七年二月、南埼玉郡長は各町村に三十七年度町村歳入出予算編成に関する通達をおこなった。これには前述した地方税制限の規定をのべ、来年度予算編成にあたっては、臨時に属する費用を切りつめ経常費においても出来得る限りの節約を説いている。

 第84表にみるごとく、明治三十五年度から四十五年度の五年毎の一戸当り税負担額において、南埼玉郡では三十五年度国税が一七円二二銭五厘から、四十年度は三一円九九銭六厘にはね上り、四十五年度では二六円八八銭二厘となっている。県税では三十五年度七円五〇銭一厘、四十年度一二円一一銭一厘、四十五年度一二円五七銭七厘となっている、町村税は三十五年度四円七銭四厘、四十年度四円八〇銭五厘、四十五年度八円一五銭二厘となっている。これによると町村税は戦時から戦後にかけてはおさえられていたが、後に増大を示している。

 また町村財政をたとえば増林村にとってみると、第85・86表のごとく、村税収入は漸増傾向をみせるが、歳入合計は四十年度まで停滞ないし減少を示している。歳出についても、とくに三十八年度の教育費や衛生費がめだって削減されていることがわかる。

第85表 明治35~45年一戸当り税負担額
年次 県郡別 国税 県税 町村税 合計
明治35 南埼玉郡 17.225 7.501 4.074 28.799
埼玉県 16.159 5.981 4.209 26.349
明治40 南埼玉郡 31.996 12.111 4.805 48.913
埼玉県 31.495 9.311 5.362 46.188
明治45 南埼玉郡 26.882 12.577 8.152 47.611
埼玉県 31.208 9.875 8.876 49.959

『越谷市史(六)史料(四)』404頁

第86表 増林村の村税と歳入合計額
年次 村税 歳入合計
明治34 1,901.868 2,309.029
〃 36 1,822.201 2,820.662
〃 38 2,139.535 2,402.031
〃 40 2,311.435 2,480.084
〃 42 3,969.370 4,628.510
〃 44 1,987.89 4,175.249

『越谷市史(六)史料(四)』356頁