自治会の成立

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このような官側の設置した行政事務会に対し、町村側で行政事務を研究するために設置したものが「自治会」である。明治三十八年七月に開始されたこの会は、規約によれば、

  第一条 本会ハ自治会ト称ス

  第二条 本会ハ各町村自治ノ本領ヲ発揮スルヲ以テ目的トス

  第三条 本会ハ町村長及助役ヲ以テ組織ス

となっている。町村自治を充実するための町村長および助役の団体であった。当時の会員は、川柳村長豊田貞治、蒲生村長中野文香、大相模村長池之谷丑太郎、増林村長今井晃、新方村長遠藤倉之助、桜井村長田川新三郎、荻島村長川上道太郎、出羽村長中村悦蔵、越ヶ谷町長小泉市右衛門、大袋村長栗原永喜、大沢町長井上順之助らであり、このほか潮止村長、八幡村長、八条村長、武里村長、川通村長、新和村長が含まれている。第一回の七月八日は越ヶ谷尋常小学校で開かれ、規約のほか郡長より各町村に配当された義勇艦隊の義捐金をめぐって協議され、配当額の五分の一以下で応ずることを決議している。このとき江戸川筋御猟場各町村へ名誉監視を設置する請願を決定した。翌三十九年一月十五日、やはり越ヶ谷町島田屋の会合では御猟場問題が討議されている。このような地理的利害と行政的便否に関する町村長・助役の意見の集約の場が自治会であった。その限り、この会は無風状態の町村会にかわって地域の政治的意向を代弁したものと思われる。