議員と吏員

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これら組合組織の協議に参加したのは、両町の町会議員および組合会議員である。前述の四月二十五日および五月一日に、大沢町弘福院において選出された越ヶ谷・大沢町会議員は次の通りである。

    越ヶ谷町会議員

  ◎二級 松本利兵衛  ◎一級 仁科仁兵衛

  ◎二級 遠藤小兵衛  ◎一級 大野新左衛門

  ◎二級 中川源吉    一級 井橋太郎兵衛

  ◎二級 内藤嘉兵衛   一級 大野久三郎

  ◎二級 森田藤兵衛   一級 荒井新兵衛

  ◎二級 小泉市右衛門 ◎一級 山本恭之助

    大沢町会議員

             得票            得票

  ◎二級 松沢久次郎  五九  一級 高橋庄吉    五

  ◎二級 中村宇右衛門 五六  一級 鈴木敬造    八

  ◎二級 黒田倉吉   三九 ◎一級 下田伝之助   八

  ◎二級 井上磨郎次  三三 ◎一級 岡井安蔵    八

  ◎二級 疋野豊吉   三一 ◎一級 加藤弥三郎   六

  ◎二級 島根荘三   三〇  一級 黒田市右衛門  四

 それぞれ一級六名、二級六名、計一二名の町会議員が選出されている。これらの中からそれぞれ九名(◎印)の組合会議員が互選された。

 ついで五月十六日、組合町長の選挙会が組合会議員によって天嶽寺で開かれた。投票の結果は、越ヶ谷町の小泉市右衛門が八票、大沢町の島根荘三が八票の同数となり、再び投票したものの同じく同数であったため、郡参事会の裁定を得て島根荘三に決められた。これにともない、助役は越ヶ谷町より選出されることになり、二十日天嶽寺に開かれた組合会で、山本恭之助が一七票中一〇票を得て当選した。その後、収入役には越ヶ谷町の会田栄太郎が選ばれている。

年号 町長 助役 収入役 書記
明治二二 島根荘三 山本恭之助 会田栄次郎
 〃二六 小泉亀太郎(十一月) 会田栄太郎
 〃二八 内藤嘉兵衛(五月) 会田権四郎(九月) 池田吉兵衛(七月)
 〃二九 松沢久次郎(七月) 大塚善兵衛(一月)
 〃三二 代理 平岡広(郡書記九月) 大塚助役辞職(三月)
 〃 〃 〃 渋谷秀三郎(十一月)
 〃三三 〃 武内長兵衛 井上順之助
下田伝之助
雇 疋田治左衛門
〃山崎治助
 〃三四 〃 佐川重作(四月) 会田利治郎(八月)

 明治三十二年ごろまで順調に吏員の交代が行われていたものの、三十三年よりは郡役所より郡書記平岡広、武内長兵衛、佐川重作らが派遣されて町務を代行した。このような変則的な町政は大塚善兵衛助役の辞職を契機としている。この辞職の弁によると、「徳義上在職致シ兼候事故」といっているが、その理由は不明ながら明治三十五年九月の組合解除の原因はこの頃より生じたと思われる。したがってその理由を検討してみよう。