組合町解除の申請

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明治三十四年四月、町長代理に佐川重作が就任した。彼は赴任するや否や、越ヶ谷町有志を天嶽寺に、大沢町有志を弘福院に集め、次のごとき課題に関する演説をした(明治三十五年「枢要書類編冊」)。

  一、両町ノ和親  一、共同的実ヲ挙グルコト  一、両町ノ公利公益ヲ増進スルヲ以テ主眼トナスコト

  一、役場ノ刷新及整理  一、学校ノ設備  一、納税ノ整理  一、町会議員選挙上ノ注意

これらはいずれも両町の当面している緊急の問題であった。この佐川重作の演説によるものか同年五月には組合町会が旧に復し、五月十三日には、天嶽寺において「両町選出議員ガ三年越ヲ以テ始メテ顔合セヲナセシ」組合町会が開かれている。ここで役場吏員は、一旦総辞職するに決した。六月には小学校新築を決議し、翌三十五年四月竣工し、開校式を挙げた。ところが校舎新築に不正があったとする町民騒擾が持上がり、大沢町より組合解除のための町会召集が要求された。九月十八日、越ヶ谷尋常小学校において組合町会および両町会が開かれ、ここで両町組合の解除が決定された。そして次のごとき申請書が提出された。

    越ヶ谷町大沢町組合解除ノ義申請

  (前略)殊ニ両町ノ間ヲ貫流セル元荒川ハ其水防上両町ノ利害全ク正反対ノ位置ニアリ、又用水ハ越ヶ谷町ハ末田大用水ヲ元荒川ノ河水ヲ其東岸ヨリ引用シ、大沢町ハ須賀用水ヲ同川ノ西岸ヨリ引用シ、水配上亦其利害全ク相反セリ。是ヲ以テ人情風俗ノ相違ハ日常小紛ノ絶ユルナク用悪水路ノ利害ニ就テハ往々大葛藤ヲ生ジ、為メニ二十二年組合組織以来十四年ノ久シキ、一年ト雖モ平穏ヲ以テ終リシコトナク、而シテ町役場事務ノ内、教育費土木費ノ如キハ頭初ヨリ組合費中ニ加ヘザリシガ、近年ニ至リ組合町費タル衛生費ニ就キ紛擾ヲ醸シ、結局、其臨時ニ属スル費途モ亦タ直接各町費ニ負担スルコトトナリ、今日ニ在テハ組合費トシテハ唯ニ僅ニ役場費会議費勧業費等ヲ共同スルニ過ギズシテ、殆ント組合ヲナスノ必要ナキニ至レリ

 これには以前よりの地理人情の相違と、直接的には伝染病予防をめぐる紛擾が共同事務の範囲をせばめ、事実上の組合町の解体に通ずることが指摘されており、九月三十日をもって組合町の解除を申請したが、その結果、組合町の解除が許可された。