明治二十二年四月一日実施された市町村制とほぼ同じ時期から準備をすすめられていたものに、府県制・郡制がある。ところが、自治的性格をもつ同案に対し、元老院の反対が強く、手なおしのうえ二十三年五月十七日になってようやく府県制・郡制が公布された。
公布された同法は、自治的性格が大きく後退し、国家行政の出先機関的色彩を強めるものになっていた。このうち、郡制は第一章総則、第二章郡会、第三章郡参事会吏員及委員、第四章郡ノ会計、第五章監督、第六章附則の、六章九一条よりなっている。郡の議決機関は郡会であり、郡会は郡内各町村より選出された議員および大地主より選ばれた議員によって組織される。町村選出の議員は、毎町村各一名を原則としたが、町村組合を設けて選ぶことも可能であった。定員は二〇名を限度とし、郡内の人口を標準として郡会で決定される。大地主とは郡内において町村税の賦課をうける所有地の、地価一万円以上を有する地主である。このほか町村選出議員定数の三分の一はそれ以外の者から互選する。郡会議員は名誉職であり、任期は、町村選出の議員は六年で、三年毎に半数が改選され、大地主議員は三年任期で、三年毎に全員が改選される。郡会は郡長をもって議長とするとなっている。
郡の行政機関は、官選郡長と郡参事会および郡委員によって構成される。このうち郡参事会は郡長および名誉参事会員四名をもって構成され、郡長が議長となる。名誉職参事員は郡会が選挙し、任期は議員の任期と同じであった。参事会は、郡会の議事を準備しその議決を執行すること、郡の公共事務を管理すること、などを担当した。郡はまた、郡事務の一部を調査し、管理するための委員(臨時または常設)をおくことができた。
郡の費用は、郡有財産よりの収入その他雑収入のほか、郡内各町村に賦課された。各町村ではこれを町村予算に編入し、町村税として徴収し、郡金庫に納めることになっている。また郡行政は、直接府県知事から、間接的には内務大臣から監督をうけることになっていた。