郡制の改正

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ところが、郡制の発布と同時に、大地主優先の選挙制度と郡長の郡会議長制に対し、つよい反対がおきた。つまり、この郡制は自治的性格を弱めるばかりでなく、階級差別を設けるものであるとの理由である。このため明治三十二年、郡制は府県制とともに全部改正された。

 同年三月に公布された郡制によれば、改正の主たる点は大地主選出議員制を廃し、かつ町村会議員が郡会議員を選ぶ複選法を廃して、「直接国税年額参円以上ヲ以テ納ムル者」に選挙権を与える直接選挙としたことである。定員も「十五人以上三十人以下」と拡大され、任期は四年に短縮された。議長も議員中より選出されることになっており、著しく自治的性格を強めている。郡組合の設置も新しい改正点であった。

 しかし、日本においては郡自治制は根づかず、金ばかりかかってほとんど仕事もしないという理由で、日露戦争のころより郡制廃止法案が国会に提出されることが多くなった。大正三年七月、議員配当に関し改正が行われたが、郡制自体は大正十年、第四四議会において廃止が決定された。この施行期日は大正十二年四月一日であったので、この日をもって郡制は完全にその姿を消すのである。