郡会の議員

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埼玉県において郡制が実施されたのは、全国に遅れて明治二十九年八月からである。その前月、決められた選挙区および議員数をみると、市域村々は、

  潮止村、八幡村、八条村、川柳村、蒲生村、大相模村、増林村  三人

  越ヶ谷・大沢町組合、出羽村、荻島村、大袋村、桜井村、新方村 三人

となっており、南埼玉郡全体では七選挙区より二〇人の議員が選ばれるはずであった。二十九年九月一日、大沢町福井家において越谷地区の郡会議員選挙会が開かれた。当選者は中村悦蔵(出羽)、島根荘三(大沢)、深野恒三郎(桜井)の三人である。八条領地区からはその一人に大相模村の山田平三郎が選出されている。これらは町村選出議員であるが、大地主選出議員は、市域村々では出羽村の井出庸造、増林村の滝田文右衛門らであった。最初の郡会議員選挙は、入間・大里・児玉郡などでは自由党・改進党系の候補者の競争が行われたが、南埼玉郡は「極メテ静粛」であったという。それは選挙区内の町村有志が事前に調整していたためと言われている。

 明治三十二年七月の改正により、選挙区および定員は次のごとくかわっている。

  越ヶ谷町、大沢町 一人      出羽村、荻島村 一人   川柳村、大相模村、蒲生村 二人

  増林村、新方村、桜井村 二人   大袋村、武里村 一人

等で、郡全体では一九選挙区、二九人となった。この当時より、明治四十五年までに選ばれた郡会議員を掲げると、井出庸造(出羽)、山崎長右衛門(越ヶ谷)、小泉市右衛門(越ヶ谷)、細沼貞之助(大袋)、小林信左衛門(出羽)、松沢簾之助(出羽)、野口倉之助(荻島)、川島重蔵(荻島)、荒井吉右衛門(出羽)、滝田文右衛門(増林)、上原治郎右衛門(桜井)、榎本英蔵(増林)、森森太郎(桜井)、長野保寿老(新方)、鈴木喜一郎(増林)、鈴木六三郎(増林)、高橋定次郎(桜井)、新井保太郎(川柳)、中野柳助(蒲生)、秋山吉重郎(大相模)、浅見伝蔵(蒲生)、石井利助(川柳)、秋山勇之助(蒲生)らであった。

 これらのうち、井出庸造(明治三十四年一月十四日)、細沼貞之助(明治三十六年十月三十日)、榎本英蔵(明治三十九年一月十二日)らは議長をつとめている。