投票の実際については具体的にはわからないが、四十年九月の桜井・新方・増林村の選挙区の場合について簡単にみておこう。三十日の投票に対し二十五日に告示され、新方村北川崎の新方村役場を選挙会場とし、午前七時より午後二時までの投票であることが示される。翌日には選挙人注意書が配布され、これには、選挙当日実印もしくは認印を持参し、本人が出頭し、受付係より到着番号札を受取ること、選挙人は選挙管理者(新方村長)より呼出されたとき、住所姓名を自称し投票簿に捺印し、到着番号札と引換えに投票用紙を受けとり、それに単記無記名で投票すること、などが記されている。
もちろん候補者は前々より村内の有力者が話し合ってきめられていたのである。その一例を次の史料でみよう。
郡会議員候補者選定法妥協案
南埼玉郡会議員候補者選出順序ニ付、明治四拾年九月弐拾七日、新方村大字船渡浅子長吉宅ニ於テ新方村桜井村両村妥協委員会合、協議ノ結果左ノ通決定ス
一、明治四拾年九月三十日執行ノ郡会議員選挙ハ、茲ニ署名セラレタル新方村妥協委員ノ指定セル候補者ヲ推選シ、両村協同、大多数ヲ以テ当選セシムル事ヲ期ス
一、次期ノ定期改選に於テ選出スベキ郡会議員ハ、茲ニ署名セラレタル桜井村妥協委員ノ指定スル候補者ヲ推選シ、両村協同、大多数ヲ以テ当選セシムル事ヲ期ス 両村妥協委員(略)
この三ヵ村選挙区の定員は二名である。一名は大村の増林村より選ぶことになっていたようで、他の一人が新方・桜井村より選んでいた。そのため両村より候補者が出ると競争となるので、話し合いで調整していたのである。このときの選挙は新方村の長野保寿老が当選したが、新方村より郡会議員が出たのはこのときだけである。