第八期の県会議員改選が行われた直後、すなわち二十五年二月十五日、第二回国会議員総選挙が行われている。
第一帝国議会は、立憲自由党が結成され、改進党をくわえた政府反対派が一七四名を占め、政府与党の官吏、保守党よりなる大成会七九名を圧倒した。このほか中立派四五名がいるものの政府反対派=民党は過半数を占め、山県総理大臣の施政方針演説および予算案をめぐって最初から対立を深めている。そのようなことから第二回総選挙は民党を撲滅することが国家のためと信じた品川内相による選挙大干渉が行われるにいたった。
埼玉県では知事久保田貫一と有田警部長が率先してこれに当り、選挙前に戸口調査によって民党候補の有権者を、警察に不法監禁するなどあらゆる弾圧を行なったという。また郡長に圧力をかけ国税滞納の整理をおこない、民党支持者には強制執行を行なったともいわれている。この選挙に第三区は政府派より真中忠直がたち、民党側より野口〓、新井啓一郎(自由党)、井上精一郎(改進党)が立候補した。いずれも葛飾郡出身者である。市域村々でも早速選挙体制にはいり、桜井村では村内有力者五名より次のごとき情勢報告が野口〓に送られている(「諸願伺届草稿綴込」深野家文書)。
候補者一件ニ付、当桜井村有志者ノ意見ヲ叩キ候処、貴処及ヒ新井啓一郎氏ヲ撰定之事ニ決定致候間、御通知申上候、右ノ戦略ニ付テハ目下之処、小生等随意ニ運動罷在候、尤モ多少反対者有之義ニ付、時期切迫ニ際シテハ自然方針ヲ替ヘザルヲ得ザル場合ナキヲ保セズ、斯ノ如キ境遇ニ至リ候節ハ、小生等自身罷出御相談可申上候間、本村ノ運動ニ付、他ヨリ彼是申入ル者有之候共、一切御構無之様御決心相成度、此段御報導申入候也
白鳥忠次郎
明治二十五年一月十五日 高崎三左衛門
田川新三郎
高橋八蔵
深野恒三郎
村内有力者による票まとめが展開されるのである。真中忠直派の選挙贈賄については、大塚善兵衛、小林信左衛門(出羽村)から真中候補あての公開質問状も出され、対立は一層エスカレートしていた。市域村々で真中派は一票一円で買収しようとしたという。