この明治三十五年の選挙で県会議員より衆議院議員に転じた宮内翁助の県議補欠選挙が、九月二十一日に郡内で行われている。越ヶ谷団体は八条団体とともに深井七郎兵衛か飯野喜四郎(蓮田)を推すことに決し、深井が辞退したので飯野推薦を決めている。飯野(政友会)自身も辞退したけれど、約九〇%の得票率で当選した。
総選挙において川上候補の参謀として前座演説を担当した大塚善太郎は、県議補欠選を終えてまもなく渡米している。このとき越ヶ谷団体の有志は次のごとき送辞をおくった。
送大塚則鳴之北米洲 山本楳塘
欽君鵬志与天高、利用文明謀大豪、曩使吾邦開進路、北米人是亦同胞
送大塚則鳴君之米国 榎本熊山
孤剣飄然向米洲、航程万里水悠々、大夫成志在今日、不是偸安貧逸秋
大塚則鳴ぬしの合衆国に留学
するを送るとて 中野文香
敷島のやまと錦のたび衣
ふるあめりかに袖は濡しが
山本楳塘(梅塘とも書く)は越ヶ谷・大沢町組合の助役をつとめた山本恭之助で県内の有名な漢詩家である。榎本熊山は増林村、中野文香は蒲生村長であった。