埼葛地区において政友会に対抗したのは改進党系の埼葛減租同盟会であり公道倶楽部であった。埼葛減租同盟会は明治三十二年七月粕壁町で成立した。一日の発会式当日、東京より鳩山和夫、田中正造ら改進党の後身の進歩党幹部が出席し演説したが、決議された会則によれば、
第一条 本会は埼葛減租同盟会と称す
第二条 本会は誓て減租を期成す
第三条 事務所を粕壁町俵屋に置く
などとなっており、各村巡回演説会を催すことなどが決められている。この同盟会の中心は原又右衛門と自由党系より接近した野口〓である。九月十五日には松伏村宝珠院で尾崎行雄、高田早苗、原又右衛門らの演説会が開かれている。新方村染谷七郎兵衛がこれに出席していた。