中央倶楽部

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その後、県議選では公道倶楽部は甲辰倶楽部と提携することが多くなる。しかし、明治四十年ごろより有名無実となり、かわって原又右衛門を中心に南埼玉中央倶楽部が結成された。たんに中央倶楽部ともいわれている。かつての埼葛減租同盟会、公道倶楽部の流れをくむ南埼玉郡中央部の人々の結社である。大正元年には南埼玉倶楽部ともいわれている。いずれも武里村を中心に粕壁、岩槻、越ヶ谷地域にまたがる有志者の結合であり、これには小泉市右衛門(越ヶ谷)、長野保寿老(新方村)らが参加している。三十年代後半より四十年代にかけて、〓世倶楽部は北方は南埼玉中央倶楽部に、南方は八条領団体に接していた。