八条領団体

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八条領団体は倶楽部こそ結成してはいなかったが、自由民権運動以来、草加嚶鳴社の基盤であり、改進党の勢力が根づよく、県会議員選挙においても南埼玉郡内ではただ一人の改進党議員を出して孤塁をまもっていた地域である。したがってその後も進歩党憲政本党の地盤として、越ヶ谷団体に対抗する位置にあった。しかし、北部の川柳村、大相模村、蒲生村は地理的関係から越ヶ谷領に近く、早くから越ヶ谷団体と同一歩調をとっていた。川柳村の深井七郎兵衛(自由党系)は、そんな関係から越ヶ谷団体の援助が大きかったと思われる。