このように八条領でも越ヶ谷に近いところから、越ヶ谷団体の地盤として比較的安定していた蒲生、川柳、大相模村に対し、その去就がはっきりしなかったのは新方領村々である。このうち桜井村は比較的越ヶ谷団体にちかく、新方村は埼玉倶楽部にちかく、大袋村、増林村はその中間であったようである。このような複雑な政治地図を、さらに混乱させたのは新方領の耕地整理であり、これを顕在化したのは四十四年九月の県議選であった。この県議選には市域村々より次の三人が立候補している。
候補者 選挙事務所 参謀 地盤 得票
栗原永喜(国民党)大沢町大松屋 原又右衛門 新方領 八六九票
今井晃(国民党) 大沢町網屋 榎本英蔵 増林村 九五八票
滝田滝太郎 八条領
有滝政之助(政友会)越ヶ谷町島田屋 中村悦蔵 越ヶ谷領 八五九票
大塚善兵衛
政治的思想にくわえ交際上の感情や、耕地整理による地域的な利害がからんだこの選挙は、越ヶ谷近在より同時に三人の立候補となった。栗原は大袋村、今井は増林村、有滝は越ヶ谷町からの出馬であった。南埼玉郡の定員四名に対し六名が立候補し、結果は北部より立候補した三人と南部では今井晃が当選した。前回〓世倶楽部より立候補し当選した榎本は、感情的対立より自村の今井晃を推しており、政友会の有滝は落選している。今井と栗原は憲政本党系の国民党であり、同じ新方領でありながら耕地整理をめぐって推進派の原又右衛門派と、千間堀問題で増林村(今井・榎本ら)は対立していた。くわえてこの頃各町村長をはじめとする吏員の町村行政事務会では、増林村は新方領の会合に参加せず、八条領の「治本会」に属している。このとき今井は八条領村々を頼みとして立候補し、越ヶ谷団体の基盤であった川柳・大相模村より一三四票を取ったため、有力視されていた有滝を破って当選したのである。このとき県会の勢力分野は政友会二〇、国民党一九、中立その他五となっていた。