この耕地整理をめぐる紛擾は、用水問題が調停されたあとも続き、創業総会にそれぞれ多数を占め、自派の意見を通すため多数派工作が行われる。賛成派、延期派とも土地所有の名義を分割することにより地主数を増すことを試み、一反歩を一〇〇人以上にも分筆しようとし、杉戸の登記役場は連日大混乱になったという。
加えて延期派は、耕地整理法により整理地区内の関係地主三分の一以上の反対があれば起業中止となることをタテに、その署名を集めて農商務省に陳情したため、大臣は大房・大林・平方・船渡などの延期派の区域を除外するよう指令した。しかし、これら区域も全員が反対ではなかったため、結局、起業の成否は四十二年三月三十一日の創業総会の決議にもちこされた。
その当日、両派それぞれ秘策をこらし、賛成派は発起人はもちろん総会出席者はすべて粕壁の旅館に泊り、延期派も同志五〇〇人が午前四時に集会し、ただちに会場の天理教会へ詰めかける予定であった。原又右衛門は会場へ前夜より泊り込んでおり、早朝より各地有力者を受付けに配し、延期派を会場に入れず、九時定刻までに入場した出席者七〇〇余名のうち延期派は一〇名内外にすぎなかったという。総会は奥田郡長が議長となり、わずか三〇分間に議長選出、設計計画の議定、規約の決定、議事録署名者の指名、耕地整理施行規則第九条承認の件等が、一瀉千里に行われた。