教育勅語謄本の下賜

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明治二十年前後は、わが国の国民教育の根本精神が重要な課題となり、教育界でも明確な指導方針の要求が起ってきた。従来からも十三年の教学聖旨の趣旨にそって徳育優先の教育方針がしめされていたが、論争がたえず、徳育の根本方針を早急に示さねばならなかった。これに対し、明治二十三年十月三十日明治天皇より山県総理大臣と芳川文部大臣に教育に関する勅語が下賜された。すなわち、勅語は国民道徳と国民教育の根本理念を明示したもので、単に学校の児童生徒のみを対象としたものではなく、広く国民全体にわが国教育の理念を教えているものである。

 文部省は、翌三十一日、勅語の奉戴に関する訓令を発し、勅語の謄本が全国の学校に下賜された。埼玉県は十二月二十三日に勅語奉読式順序を告示したが、翌二十四年六月には小学校祝日大祭日儀式規程が国によって制定された。

 これによれば、勅語の奉読は、一月一日の四方拝、紀元節・神武天皇祭・天長節などの儀式、夏季休業後の開校日等に執行されることになっている。奉読式場には全校生徒が整列、学校職員、町村長、学事関係吏員のほか父兄も列席し、学校長が奉読して訓解した。

 市域に残る史料によると、大袋尋常小学校、桜井尋常小学校、大相模尋常小学校、大沢尋常小学校(共和学校)などに二十三年十二月、南埼玉郡役所で勅語の謄本が下賜されている。

 そして、桜井村長が郡長に報告した奉読式の景況によれば、朝八時に桜井尋常小学校に首座訓導他二名、生徒一一〇名、村長および役場吏員一名、父兄等二〇名が参集し、九時より式を行なっているが、首座教員の奉読、訓解があって正午十二時一同満足の拝聴で退校したという。