私立静修裁縫女学校と越ヶ谷裁縫女学校

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私立の静修裁縫女学校は、明治三十九年十月、大沢町の金子行善が、同町一一番地に仮校舎を建て、高等小学校二学年修了かあるいは同程度の女子を集め、本科(二年間)、速成科(六ヵ月)、別科、随意科(無期限)の四科制をとって、本科では裁縫、修身、編物、刺繍などを教えるものとした。参考までに本科一学年の一週間の授業時数と教科内容を示せば第96表のとおりである。

第96表 静修裁縫女学校の科目
本教科科目第一学年毎週時間
裁縫穴かゞり、襦袢、袖形、褄形、袢纏、一ツ身、二ツ身、三ツ身、四ツ身、本裁、単袷、綿入被布、男女合羽、男女帯、羽織、男女衿、シャツ、ヅボン下、股引、脚袢、腹掛、手甲、足袋、改良服、和洋前掛、涎掛20
編物編針の使用法、諸種の編方、巾着涎掛、帽子、男児衿巻、女児肩掛6
修身人倫道徳の要旨2
礼式女子礼法要旨、立礼、拝礼、主客応接、出入途中、物品授受2
随意科刺繍布帛の張方、下画の書方、縫取の方法、木綿平縫、球縫、刺縫、閉縫2
活花花道の大要2

 本教科のほかに刺繍か活花のいずれかを選択し、計三二時間授業を行なった。授業料は、本科・速成科とも月額五〇銭、別科・随意科とも月額三〇銭で、別に寄宿制度まであった。

 しかしながら、四十二年四月越ヶ谷町外七ヵ村組合で、越ヶ谷高等小学校に実業補習学校とともに組合立越ヶ谷裁縫女学校を設置したので、静修裁縫女学校は間もなく経営不調となり廃校となっている。