御猟場の縮少

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後述のとおり明治四十一年埼玉鴨場が設置されたことと、相次ぐ地域農民の御猟場解除願が提出されたことに伴い、宮内省では、大正十三年江戸川筋御猟場区域の縮少を発表し、埼玉鴨場を中心とした第99表に掲げる一八ヵ町村を残し、他は解除した。

第99表 大正13年御猟場町村耕地面積
町村名 耕地面積
町反
○粕壁町 2.5
○豊春村 208.4
武里村 584.2
○川通村 438.8
和土村 261.5
桜井村 443.3
大袋村 503.6
新和村 648.9
荻島村 552.7
○出羽村 374.5
大沢町 170.9
越ヶ谷町 201.0
新方村 407.7
増林村 502.9
○大相模村 237.9
○蒲生村 83.8
○川柳村 3.0
○松伏領村 55.9

○印は一部面積が御猟場区域を示す

 このため縮少された御猟場内に自然と鳥類が群集した。そこで関係町村では特別の詮議を県を通じて宮内省に請願した。これに対し宮内省は、翌十四年七月県に対して鳥類被害調査の実施を指示し、その対策を委ねた。県では早速各町村に報告を求めた。これによると、水稲苗代の被害は新方村を例にとると、七割以上の被害が三四坪、五割以上七割が一四六坪、三割以上五割が二一〇坪、一割以上三割が二七七坪、一割未満が六三八坪、計一三〇五坪が被害を受けたと報告している。

 ことに蒲生村の苗代被害面積は一四万四〇〇坪に達し、害鳥は主に雁・鴨・雀・鳩・烏で、幼苗を倒伏腐敗させているといっている。また、稲実の被害では、例えば増林村では、八月中旬より雀・鳩・雁・黒鴨などにより、二九五町七反歩が一割から三割の被害を蒙ったと報告している。このほか陸稲では五月上旬と十一月下旬に雉子・鳩・雀により、麦類では十一月上旬から五月の下旬にかけて雁・雀・鳩により、豆類では五月の播種期に雉子や鳩によって被害をうけているといっている。

 この関係町村長による被害報告をうけた県では、農務課内に調査専任職員を配置し、農事試験場や穀物検査所などの職員を調査員として、水稲苗代、麦、豆などの被害の実態調査を実施した。この結果昭和二年七月、県は江戸川筋御猟場区域鳥害防除奨励内規を定め、鳥害施設に補助金を交付することになった。そして防除施設として霞網、威銃、点火などの購入費に充てられた。かくて関係町村は、はじめて積極的な害鳥防除対策に乗り出したが、昭和三年度の駆除成績は第100表のとおりである。

第100表 昭和3年度害鳥駆除成績
町村名
松伏領村 1,060
川柳村 351
粕壁町 685
蒲生村 3,086
和土村 425
大相模村 646
越ヶ谷町 372 64
大沢町 755
新方村 雀,鳩若干
出羽村 雀,黒鴨,雉子若干
新和村 2,472
桜井村 1,028 47
増林村 雀,鳩若干
豊春村 雀,黒鴨若干
武里村 雀,鴨,雉子,雁若干
川通村 雀,鳩若干
大袋村 1,810 197
荻島村 雀,水禽若干

 しかし、この害鳥駆除は、宮内省の御猟場内規による厳しい制約のもとで行われたので、その成績は必ずしも良好とはいえず、各町村では機会あるごとに雀・鳩・雉子・黒鴨の自由捕獲を願ったが、これは許されなかった。なお、手当金の方は、その後昭和十一年が更新期であったが、引続いて反当り金一五銭の割で同二十六年まで継続され、同年廃止となった。戦後進駐軍などによる鳥類の乱獲で、既に禁猟区の名目はなくなっていたからである。