水害への防止策

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これら水害のたびに市域住民は、全力を尽くして水防資材の樹木を伐採したり、明(あき)俵に土をつめたりして堤塘の破壊を防ぎ、また決潰箇所の応急修繕に当った。したがって水害による家屋・田畑の損害はもちろんのこと、水防に要した経費も莫大な額に達した。このため、四十三年の大水害後、新方領二町七ヵ村(粕壁・大沢・豊春・川通・大袋・荻島・新方・桜井・武里)は、水害予防組合を創立し、水害の予防措置を講じた。その範囲は、元荒川・古利根川・逆川および新方領囲堤、すなわち組合二町七ヵ村を囲繞する地域で、これらの堤防の決潰・欠崩・越水を防止することにあった。組合には水防組をおき関係町村民のうち満一七歳以上満五〇歳未満の男子はすべて組員となって水防の義務を負った。組合の経費は関係区域町村(組合町村)で負担し、その賦課方法は、段別割四割、地価割四割、家屋割二割とされた。

 これら水害に備えて市域各町村では、明治三十二年から施行された罹災救助基金法に基づく郡町村罹災救助資金を毎年積立て有事の際に充てることになった。すなわち増林村では三十五年度から毎年度五〇円ずつを積立てたが、このうち半額の二五円が県からの補助金であり、四十二年度までに四五〇円余に達した。この資金は四十三年の大水害の際、そのほとんどが村費(一般会計)に充用され村経済を救うことになった。このほか、県では同法により罹災救助基金の蓄積を行なっていたが、これは有事の際各町村に救助金として支出されるものであった。同救助金には、避難所費、焚出救助、食料給助、被服給助、施療、小屋掛料、資料給助(種子・農具)の別があったが、当市域には二十三年と四十三年の大水害の際、第103表のごとく焚出救助、食料給助、種子給助があったのみで、他の救助は発動されなかった。

第103表 明治23年水災被害
町村名 戸数 被害反別(町) 食料給助 種穀料給助
湛水 無難 合計 合計 人員 金額(円) 田給与戸数 田給与金額(円) 畑給与戸数 畑給与金額(円)
荻島村 24 152 176 9 15 24 15 1.956 5 17.325 6 21.525
増林村 580 34 614 333 250 583 2,044 199.245 238 915.750 154 512.500
越ヶ谷町 14 604 618 20 51 71 12 38.500 219 721.850
大沢町 247 176 423 98 67 165 433 45.586 113 377.300 29 96.145
大袋村 107 199 306 107 109 216 141 11.288 61 205.975 47 156.415
桜井村 163 220 383 175 70 245 276 36.221 116 236.875 3 10.415
蒲生村 3 401 404 265 2.568
川柳村 14 130 144 11 11 93 12.081 5 15.785
大相模村 10 265 275 68 68 43 7.026 30 97.580
新方村 324 324 284 428 428 499 87.574 211 781.000 89 295.200
出羽村 44 173.150 2 5.740

県立文書館蔵県行政文書