明治四十二年三月三十一日、新方領耕地整理創業総会が粕壁町天理教会で開かれた。この時の模様は第一編七章六節(三五三頁)にくわしいのでここでは省略するが、当日一〇〇名余の警察官の警戒のもとで開かれたが、この会は整理断行派の一方的な議事進行で幕切れとなった。これに不満をもった延期派は上京を企て、大挙して内務・農商務両省へ陳情したが、この陳情は取上げられなかった。
やがて創業総会を経た断行派は、翌四月十一日、粕壁町の同天理教会で第二回総会を開き役員の選出を行うことにした。これに対し、延期派の中村恵忠寿ほか二名は埼玉県警察部を訪れ、第二回総会には創業総会のように反対派を会場に入れないかも知れないので、このようなことのないように警察官を多数出張させてほしい旨を要請し、また断行派の原又右衛門も前後して登庁し、警察の力ではとうてい制御しきれるものではないので憲兵の派出を望むと述べたと伝える(『埼玉新報』)。いずれにせよ、万一を懸念した県警察部では、二〇〇余名(三〇〇名とも)の警察官を派遺して当日の警戒にあたった。
総会当日は多数の警察官が警戒する中、何事もなく、五二名の耕地整理委員を選出して閉会した。