こうして一〇年にわたる神社整理が大正四年十一月に結着が付けられた。埼玉県神社明細帳の現存のものが大正二年のころ整頓作成されたことも、それと関係があろう(大正四年合祀の蒲生久伊豆神社は明らかに追書である)。
三十九年までは、越谷市域には、郷社一、村社四六、無格社一一四(郡村誌によるので若干洩れがあるらしい)、合計一六一社あったものが、大正四年には、郷社一、村社四二、無格社一八、合計六一社となった。減少率六二・二%である。埼玉県下全体では減少率六六・〇%(ただし大正二年まで)であり、越谷市域の神社整理の成果は県下の平均値に近かったといえる。ちなみに全国平均減少率は三六・六%である。