郵便貯金

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郵便貯金は明治八年一月の貯金預規則の発布にはじまる。当時は貯金ないしは駅逓局貯金と称していたが明治二十年四月に郵便貯金と改称された。創業の明治八年の全国の預入者は二一四八人で預入額は二万〇五五九円にすぎなかったが、大正の初めには人口一〇〇人のうち二五人の預金者をみるまでに増大した。その貯金による資金は大蔵省で運用された。

 郵便規則や郵便条例の一部であった貯金規則は明治二十三年八月に郵便貯金条例として独立したが、明治三十三年には切手貯金、翌三十四年には証券貯金が開設され、国民に貯蓄の奨励が行われた。さらに日露戦争に際しては財政確保の必要から規約貯金や据置貯金が実施されたが、郵便集配人による取集貯金も行われた。

 越ヶ谷町では明治五年七月郵便取扱所が設置されたが、同八年一月越ヶ谷郵便局と改称された。明治三十七年九月からこの越ヶ谷郵便局においても郵便集配人取集貯金を開始し、毎月二、十二、二十二日に集配人の出張がおこなわれた。翌三十八年には郵便貯金法が発布され郵便貯金規則により従来の法規が統廃合された。

 政府は国民にこの零細ではあるが集積されると巨額となる郵便貯金をさかんに奨励した。これをうけて南埼玉郡においても大正二年八月には逓信省の為替貯金局から発刊された栞を各町村に配布し、郵便貯金の奨励方を通達している。明治四十四~五年における南埼玉郡各郵便局の貯金高と預金者数は第111表のとおりで、明治四十五年の越ヶ谷局は一人当り約三二円の貯金高を示し、郡平均一人当り約二三円より約九円を上まわっていた。

第111表 郵便貯金高局別調(『大正2~3年桜井庶務発収書類』)
局名 岩槻 粕壁 久喜 越ヶ谷 菖蒲 鷲宮 蓮田 南埼玉郡 埼玉県
人数,金額
明治44年 預金人数 3,516 2,292 1,713 3,388 2,073 281 1,392 14,655 173,740
貯金額
70,042.819 44,117.695 43,057.755 96,556.557 19,757.064 5,491.039 34,152.731 31,3175.660 3,116,563.259
明治45年 預金人数 3,612 2,473 1,973 3,653 2,309 288 1,592 15,899 184,078
貯金額
83,503,806 49,359.359 49,853.376 118,193.869 26,973.041 4,930.407 40,791.562 373,605.420 35,311,824.457
比較増減 預金人数 95 181 260 265 236 7 200 1,244 10,338
貯金額
13,460.987 5,241.664 6,795.621 21,637.312 7.215.977 560.632 6,638.831 60,429.760 415,261.198

(注) 明治45年埼玉県下の局数は72である。総計は72局分以外に他管区移転受入高,廃停局所行賞貯金の合計が含まれている数字である。