町村政治の様相

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町村会議員選挙は大正二年より改正町村制により単記投票法とかわったが、競争の激しい越ヶ谷町と異なって、農村部ではそのことによる変化はあまりなかったようである。すなわち「選挙人間ニ於ケル党派的関係ハ更ニナク、極メテ平和ナルモ、各大字ト選出議員トヲ見ルニ、其大字ニ属セル選挙人ハ自大字ヨリ議員ヲ選出スル」(大正二年「議事ニ関スル書類」)傾向は従来通りかわらなかったし、「選挙競争ナシ」(大正二年「庶務発収書類」)とあるごとく、選挙競争もほとんど行われなかったところもある。ただこの改正によって議員の予選協定が難しくなったこと、一、二票差による当落の情況が表われることが懸念された程度であった。また蒲生村では改正法は棄権防止となる点を指摘しているが、事実この年行われた議員選挙では、旧来の棄権率が六二%であったのに対し、三八%に下がっている。ことに桜井村では四〇%の棄権率から一三%に下がっている。

 町村議会は従来通リ町村財政の予算決算、吏員任免を中心とする通常会が軸となって開催されたが、この頃には学校新築のための起債、耕地整理や洪水被害、そのほか鈴木銀行取り付けによる預金問題、高等小学校・裁縫女学校組合、隔離病舎関係等に関しての臨時議会が何回か開かれている。

 また町村役場事務量の変化を次頁の図でみると、明治四十三・四十四・大正元・二年度はもっとも繁忙でその件数はピークとなっている。なかでも税務・庶務関係の事務が多く、納税問題を中心とする地方改良問題の登場する事務的な背景を示している。大正元年の事務量の増大は「逐年行政事務ノ劇(激)増ニ加フルニ本年ハ県下ニ於ケル特別大演習施行等ノ為メ」(大正二年「議事ニ関スル書類綴」)とされ、これが「準則改正ニヨリ事務簡捷ノ効果」が現われ大正三年頃からは減少をみせている。大正三年頃よりの減少は「戸籍法改正ノ結果、著シク該事務ノ簡捷ヲ見」(大正五年「会議部」)たものであるという。国政の委任事務の増大が地方改良を必要とし、それにはまず事務の簡素化が差迫った問題であったのである。

役場事務取扱件数の変化