明治三十七年四月、南埼玉郡役所は各町村宛に「基本財産造成条例」の設置を通達した。このなかで町村財政の補充を目的とした基本財産の蓄積は「目下緊切ノ事業」(明治三十七年「庶務土木収受書類」)であるとして、かつての内務省通達のごとく、金銭貯蓄のほか山林原野の財産組み入れによる植林の奨励を説いている。また不用の官有地払い下げを願い出て、町村共有財産への組み入れを行うよう指導したが、このような山林原野の共有財産化の方向は、明治四十二年の部落有林野の町村への組み入れとして全国的に行われている。すなわち部落意識や大字根性を捨てて町村の一致団結をはかり、あわせて年々膨張する町村財政を町村共有財産からの収入をはかってこれに充当しようとしていたのである。
市域村々における部落有林野統一の情況は不明であるが、基本財産の蓄積は明治四十年前後より行われている。すでに増林村は三十八年(大正二年にさらに拡大)からこれを実施している。ちなみに三十九年当時基本財産および蓄積金をもつ町村は、増林村のほか蒲生村・川柳村・大沢町・越ヶ谷町でみられるが、いずれも少額の積立であった。しかし明治四十四年には新方村を除いた全町村の予算に基本財産造成費が計上されている。
基本財産蓄積に関し、市域村々でもっとも早く条例を制定したのは大袋村で、明治三十六年三月の村会で「大袋村基本財産蓄積条例」を決議している。これによれば
町村制第八十条第二項ニ掲クルモノノ外、左ノ収入ハ基本財産トシテ蓄積スルモノトス
一、基本財産ヨリ生スル収入
二、歳計剰余金
三、国税徴収法及府県税徴収法ニ依リ収入スル交付金
四、戸籍法ニ依リ収入スル手数料
五、本村手数料条例ニ依リ収入スル手数料
となっていた。これは大袋村が「将来経営スヘキ事業及天災地変等不慮ノ災害ニ備へ、以テ永遠ニ基礎ノ鞏固ヲ図ラントス」(「県治部・町村制」県立文書館)るために積み立てるものであったが、その実施は教育費の増大や日露戦争のため大幅に遅れている。
ともかく基本財産の蓄積に力を入れだした各町村のうち増林村ほか二村の大正二年度基本財産をみると、第3表のごとくである。若干の建物がみられるほかは、ほとんど郵便貯金ないし中井銀行岩槻支店への預金である。
増林村(大正3) | 蒲生村(大正2) | 桜井村(大正元) | |
---|---|---|---|
円 | 円 | 円 | |
村基本財産 | 1,677 | 603 | 40 |
学校基本財産 | 236 | 1,540 | 150 |
罹災救助資金 | 602 | 993 | 470 |
授産資金 | 1,086 | 533 | |
公有財産 | 10,835 | 1,449 | |
合計 | 3,601 | 14,505 | 2,109 |
大正2「議事ニ関スル書類綴」(蒲生)
大正2「庶務発収書類」(桜井)