植林事業

462~463 / 1164ページ

大正五年二月、蒲生・増林・大相模・八幡・潮止の五ヵ村は、大正天皇の即位を記念し、村役場基本財産の造成をはかって、共同経営による植林事業に着手した。植林地は埼玉県秩父郡大滝村大血川の私有地(三峰神社の裏手)で、実測面積約四六町歩にわたる地域であり、所定の手続きを経てここに地上権を設定した。このうち岩石地を除く一八町八反歩へ一町歩につき三五〇〇本の植栽を目標に杉苗二万六〇〇〇本、扁柏(へんぱく)(檜の異名)苗五万六〇〇〇本を金五三三円で購入、補植期間を含め二ヵ年計画で同年六月から植栽をはじめた。

 このときとりかわした山林地主四名との契約書によると、(1)地上権の存続期間は大正五年四月から四〇ヵ年とする。(2)植栽は大正五年四月より始め、同六年五月までに完了する。(3)成木の売却は関係村において公売に付すが、この売却金のうち一〇〇分の七〇が関係村、一〇〇分の三〇が土地所有者の収得とする。(4)土地所有者は、造林に関し、火災の防止、盗伐の予防の義務を負うものとするなどとなっていた。

 この植林に費やされた経費は総額一三九六円三七銭、このうち一一五〇円余が苗木代などを含んだ新植費、二〇五円余が新植手入費、三九円余が雑費となっており、一村あたり二七九円二七銭の負担金であった。植栽は杉が約二割ほどの枯損が生じたが、根付いた分は杉や檜とも成育はきわめて旺盛で、結果は良好であった。

 その後毎年の植林経営に要する経常費は、大正七年度の植林地補植費などによる一村あたり二三六円余の出費を除くと、その年により増減があったが、植林地刈払い手入れ人夫賃四〇九円余、看守人年給一五円、支障木片付人夫賃四五円、計四七〇円で一村あたり九三円、およそ一〇〇円内外の負担額であった。そして例年関係村々による山林視察が行われた。たとえば大正十年度でこれをみると、視察の出発日は十月十九日、一行は大宮駅から高崎線で熊谷駅に到り、秩父鉄道に乗替え秩父駅で下車、貸切馬車で山道を神橋に至り、ここから徒歩で三峰神社の宿泊所に向い当所で一泊、翌日三峰から造林地現場の視察を行なった後、秩父の旅館で一泊、次の日秩父を出発、行田に寄って帰村という日程であった。なお視察参加者の用意する品物は、着替えのふだん着のほかシャツ一枚と脚半(きゃはん)・足袋(たび)、それに草鞋(わらじ)であった。

 この五ヵ村共同経営植林事業は、昭和二十九年、町村合併促進法による関係村々の、それぞれ越谷町や草加町への合併を機会に、同年八月地上権を解消、この成木を群馬県藤岡町の木材商へ金七五〇万円で売却した。この植林期間は三十八年間であったが、関係村々にとっては、大滝村大血川の山林は、まるでわが子のごとく忘れることのできない愛着の地であったという。