越ヶ谷町勢の推移

463~465 / 1164ページ

地方改良運動のさなか、運動の性格を象徴するかのごとくこの地に発生したものが、越ヶ谷町の訴願事件であった。この事件の経過にはいる前に、当時の越ヶ谷町勢についてみておこう。

 明治三十五年、越ヶ谷・大沢町組合を解除して独立した越ヶ谷町は第4表にみられるごとく独立以前の町税滞納をかかえて、その整理を主要な仕事の一つとして出発した。その後、町民の努力によって町財政は回復しつつあった。明治四十二年より大正二年にかけて、町民の収入に対する税納入額の状況は第5表のようになっている。生産価格の増大は、一戸当りの税額を相対的に少なくしており、町勢のこのような向上が、第6表のごとき滞納者の減少ともなっている。ただし、依然として滞納はつづき、とくに戸数割税の滞納が多い。第6表は県税の納付状況だが、町村税の滞納はもっと多かったとみられる。しかも国・県・町税以外の諸負担もばかにならない額であった。

第4表 越ヶ谷町・大沢町税滞納表
越ヶ谷町 大沢町
収納額 不納額 不納人員 収納額 不納額 不納人員
明治31 1,588 10 98 1,165 25 150
32 1,697 19 139 1,434 85 297
33 2,033 56 206 1,598 213 580
34 2,836 225 641 1,376 248
35 925 1,049 406 309

明治35年「越ヶ谷町大沢町組合解除事務引継書」

第5表 越ヶ谷町の生産価格と税額
戸数 農産物 畜産物 工産物 水産物 合計 1戸当り収入 直接国税 県税 町村税 1戸当り税額
円 銭
明治42 640 38,033 22,492 60,525 94.57 16,453 5,061 5,806 42.68
〃 43 618 20,140 63,390 259 83,789 135.58 12,766 4,600 3,604 33.93
〃 44 618 58,969 725 73,609 244 133,547 216.09 14,314 5,225 4,669 39.17
〃 45 615 79,685 863 88,519 322 169,399 275.44 13,604 5,754 4,860 39.38
大正2 615 66,507 870(39) 95,524 310 163,250 265.44 13,361 5,720 5,308 39.65

( )内は林産物

越谷市史(五)805頁

第6表 県税滞納者の変化
年次 人数 内訳
明治42 46 うち戸数割滞納者 24
43 30 うち営業割〃 14
44 38 うち戸数割〃 14
45 13 7
大正2 3 3

越谷市史(五)806頁

 また後述の訴願事件で問題となる車税納入者は生産従事者ではなかったので、直接に生産の増大からその生計を推測することはできないし、第5表のごとき統計上の数値が、そのまま貧富の差のある町民全体にあてはまるものでないのはもちろんである。ことに明治四十三年の大水害は「越ヶ谷町ノ下層人民、殊ニ人力車夫、荷車挽等ガ其職ヲ失ヒ、他ノ工賃低落ノタメ非常ノ困窮」(越谷市史(五)八一七頁)におちいったと指摘しているが、この点はのちの訴願事件の一つの争点となった。