生活の変化

472~474 / 1164ページ

このようにはげしい景気の変動下にあった農家の生活状況はどのようなものであったろうか。さいわい桜井村の場合が判明するので第8表によって大正前期の生活事情をみれば、村内の「中産階級」としての田一町歩、畑五反歩所持者の家計収支が示されている。米・麦・豆の主穀作を中心とし、藁細工としての縄販売収入と燃料にした残りの灰を収入として計上しており、労銀(自家労働)は一町五反歩耕作に要する男二人、女一人の農繁・農閑期の賃銀として合計三六五日分が計上されている一種のモデル計算である。

第8表 桜井村一農家の生計収支(1町5反歩所有者の場合)
収支 年度 大正2 大正3 大正4 大正5 大正6 大正7
項目
収入 円 銭 円 銭 円 銭 円 銭 円 銭 円 銭
350.0 200.0 222.60 257.57 318.75 508.0
87.40 41.95 53.57 70.0 108.24 153.80
42.10 31.66 32.80 32.50 53.57 58.33
藁細工 37.50 31.25 31.25 37.50 50.0 50.0
6.0 5.0 5.0 6.0 8.0 12.0
労銀 351.50 260.75 260.75 351.50 430.25 573.25
合計 874.50 570.61 605.97 755.07 968.81 1,355.38
支出 円 銭 円 銭 円 銭 円 銭 円 銭 円 銭
地租 26.24 25.13 25.13 25.13 25.13 25.13
地租割 7.11 5.94 6.66 6.70 6.52 675
戸数割 4.07 4.63 4.27 4.25 48.07 9.61
肥料 95.0 80.0 80.0 160.0 160.0 130.0
食料 106.0 79.75 79.75 92.34 132.86 231.41
労銀 351.50 260.75 260.75 351.50 130.25 573.25
合計 589.92 456.20 456.56 639.92 802.83 976.15
収支差引 284.58 114.41 149.41 115.15 165.98 379.23

食料は3人分 1人1日6合 白米挽割半々(その他労銀男女1人当り,施肥料価格,米麦豆価,縄代等略)越谷市史(五) 917頁

 これによると、大正二年に得られた利益二八四円余に復するのは大正七年になってからである。このような傾向を、生活状況の報告書は「中産階級者ハ諸税負担ノ益々膨張スルヲ以テ、収入即チ利益多カラザルモ、物価奔騰ノ為メ大正三、四、五ノ三ヶ年ニ比スレバ幾分ノ純益ヲ見ルヲ得ルモ、従テ寄附諸雇給其他食料品、尚購入品ノ高騰ナルヲ以テ、農産物売却ノ高価ナル割合ニハ増殖少シ」(越谷市史(五)九一六頁)と述べている。つまり大正六、七年の状況は物価高騰し、ために農産物収入も増加しているものの、寄附金、労賃、食料品、その他の高騰で帳消しにならぬまでも利益が少ないというのである。表示された諸税のほかに、農会費・協議費などの諸負担もあったはずであるから、現実の収益は少なくなるであろう。

 当時の農村部の状況は、中産階級以上は奢侈に流れることなく貯蓄につとめ、下層民は生活費に窮するため節約を旨とし、酒・煙草の類は物価騰貴のため購入を減少する傾向にあった。もちろん物価騰貴とはいっても、衣食を緊縮することは容易でなかったが、衣服を新調するものもほとんどなく、下層の人びとは普通食料を改良し南京米に挽割を混合して食べる状態となっている。物価上昇は教育にも影響を与え、児童の服装は質素にして「弁当ハ百人中ノ七十九人ハ麦飯ヲ持参シ、副食物ハ梅干、野菜ノ漬物ニシテ、魚類ヲ持参スルモノ稀ナ」(越谷市史(五)九二一頁)る状態であったという。