国民精神作興詔書の渙発

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第一次世界大戦後の好況もやがて世界的大不況にまきこまれて終息し、さらに加えて関東大震災は、わが国経済を深刻な混乱に追込んだ。また、ソビエト連邦の成立や国際情勢の変化など、内外の社会不安を背景にして展開された社会主義政党の結成や労働組合・農民組合運動の盛りあがりなどは、為政者に危機意識を抱かしめることになった。このような情勢の中において、政府は大正十二年十一月十日、「国民精神作興ニ関スル詔書」を渙発し、国民の精神的基盤にてこ入れを行なった。詔書では、「輓近益々学術開ケ人智日ニ進ム」といえども「浮華放縦ノ習漸ク萠シ軽佻詭激ノ風亦生ス」るような社会風習が一般化してきているので、これらの「時弊」を徹底的に改革し、綱紀を粛正し、風俗を匡正し、浮華放縦の気風を排除して質実剛健の気風を養成し、「恭倹勤勉」して生業に励み、各自その産を形成し、一己の利害に偏せず、力を公共のために尽すべきことを諭している。

 以後政府では詔書の精神を体して、大正末期から昭和初頭にかけて学校教育の場はもちろん、当時著しく拡充された社会教育(公民教育)面など、広く国民教化の運動を展開し、国民精神の涵養と振作、国民思想の統一を図っていった。