運動の展開

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埼玉県では大正十三年、国民精神作興運動の第一着手として、県知事を会長、関係官公吏および民間有識者を委員とする勤倹奨励委員会を設置し、各郡に支部をおいた。南埼玉郡では郡長を支部長、郡下の町村長、郵便局長、警察署長のほか在郷軍人会、青年団、宗教家、銀行業者、信用組合、農会、商工会、婦人団体から代表者一名を委員に選出させた。このとき市域からは商工会代表として山崎長右衛門が加わっている。町村にはとくに新たに委員会を設置せず、従来からの矯風会などを実行機関とした。ただし、出羽村ではこの時勤倹貯蓄組合を組織している(産社祭礼帳)。

 勤倹奨励の方法としては、各種団体の協力を求め、奨励に関する冊子を作製頒布し、講演会や活動写真、ポスター、標語などを利用して普及に努め、埼玉復興貯金の名称のもとに県下全体の蓄積額を二五〇〇万円(三ヵ年を目標)とし、各市町村に割当てた。県民一人の目標は一人一日平均一銭五厘で、各町村の実績調査を毎年二回、六月と十二月末に郡役所に報告するよう求めている(荻島村庶務部大正元年~)。とくに、勤倹貯蓄に関する県民の励行事項としては、奢侈を戒め冗費を省き、生活上の弊風を矯正することとし、具体的には節酒・節煙、贅沢品の排除、衣服の質素化、外国品の排除と国産品の奨励、廃物利用、冠婚葬祭の儀式の質素化、贈答の形式的虚礼の廃止等を目標としている。

 また、治本会加盟の村々(潮止・八条・大相模・増林・八幡・蒲生・川柳)では、大正十二年十二月二十一日の会議で、国民精神作興に関する件について協議している。また、翌十三年六月二十五日には同運動に関する講習会を実施することを決議し、八月七日から九日にかけて八条尋常高等小学校を会場として、加盟各村の小学校および実業補習学校の教員そのほか、青年団員、在郷軍人会員、一般有志を講習員として開催している。これには文部省・県・郡の係官・陸軍参謀本部員を講師に招き、農業教育・自治精神・社会問題・世界の大勢及び排日の真相を演題としている。さらに、同年十二月二十日には国民的勤倹運動に関する村民指導について協議するなど、治本会では、以後も毎年何回かにわたって農村振興策に関する研究会を開催している(「治本会会議録」)。このことからみて市域各町村ではこれらの協議、研究会の結果を各町村において当然実践したと思われるが、その詳細は不明である。