越ヶ谷区裁判所の復活

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明治二十三年、裁判所構成法が制定され、県下にはこの時浦和町に地方裁判所、浦和・越ヶ谷・幸手・川越・熊谷・大宮(秩父)の六ヵ町に区裁判所がおかれた。区裁判所は民事については一〇〇円未満の訴訟、刑事については違警罪および軽罪事件を管轄する裁判所であった。その後大正二年四月、越ヶ谷区裁判所は廃止されたので、旧管轄区域内の住民はその不便を感じた。ことに戸籍事務関係吏員は遠路の出張などで困難をきわめまた費用が嵩んだ。このため裁判所の復活を望んでいたが、翌三年三月越ヶ谷町長大塚善兵衛、増林村長滝田滝太郎らが協議を遂げた結果、埼玉県選出の斎藤珪次代議士に紹介を通して、区裁判所復活の請願書を衆議院議長に提出した(越谷市史(六)四五四頁)。以後毎年請願運動を展開したが、さらに同七年越ヶ谷町長は、旧管轄区域の南埼玉・北葛飾・北足立三郡五四ヵ村有志を代表して司法大臣にこれを請願した。この運動が成功してか、翌八年七月一日越ヶ谷区裁判所が再び復活開庁されることになった(県警察資料)。