大正期の越ヶ谷警察署

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越ヶ谷の警察署は、明治三十五年五月以来岩槻警察署の分署となり、越ヶ谷・大沢の二町と、出羽・荻島・大袋・桜井・新方・増林・大相模・蒲生・川柳・八条・潮止・八幡の一二ヵ村を管轄した。各村には駐在所が設置され、明治三十九年には八条村に巡査部長派出所が設置されたが、同派出所は大正七年四月一日に廃止され、同十三年十月三十日に一旦復活をみたが、再び翌十四年四月十八日には廃止された。

 また、越ヶ谷分署は、十三年十二月一日には岩槻警察署から独立して越ヶ谷警察署に昇格した。ただし管轄区域は従前どおりとされた。なお、十四年三月の同署警察官定員は、署長一名、警部補一名、巡査部長二名、内勤巡査二名、外勤巡査一七名、刑事巡査一名、特務巡査二名で、総員二六名であった。

越ヶ谷警察分署(「越ヶ谷案内」から)

 明治四十五年の県下巡査駐在所の警察電話架設状況は、三九〇の駐在所に対しわずか四四ヵ所であり、その後も進捗をみなかったが、大正九年から電話架設一〇ヵ年計画が樹立され、同九年には大相模、十一年には川柳・荻島・大袋の各駐在所に警察電話が架設され、以後すべての駐在所に架設されていった(県警察資料)。