越ヶ谷警察署では、第一次大戦後の社会不安の世相に対処すべく、大正九年三月二十日から同署内に窮民の救済策として、道徳的および社会的見地から社会的施設を設置した。その内容は、手荷物預り、投書函設置、雨傘・提灯無料貸与、人事相談部の設置、貸家紹介、労働争議の調停、職業紹介、家庭不和の調停、無料宿泊所の設置等であった。しかし、この事業を遂行するに当っては、相当額の費用を要するので、同年九月には分署長名をもって管内町村長に対し、篤志家の慈善的寄付の取りまとめ方を依頼している。その結果どの程度の寄附金が集まり、どの程度の規模の事業を行なったのかの詳細はわからないが、ともかく当時他署にさきがけてこのような社会的施策を行なったことは特筆されることであった。