スペイン感冒の流行

506~507 / 1164ページ

大正七年秋、スペインに発生したインフルエンザは、たちまちの内に全世界に流行、十月にはわが国に侵入、翌年の春にかけて大流行し、全国で一五万余人の死亡者を出した。埼玉県では十月二十五日に県告諭を発して、これが予防方法について各町村に指示した。すなわち、流行地ではなるべく民衆の集合を避けること、一般に含嗽(うがい)を奨励すること、頭痛発熱等身体に異常のある者は必らず医師の診察を受け静養させること、患者はなるべく隔離し、全治にいたるまで外出を遠慮させるなど、さらに細部にわたって指示した。とくに、桜井小学校では、各教室の清潔通風、唾壺の設備、衣服の清潔、寝具の日光消毒の励行、罹病者はなるべく欠席加療させる、罹病者で登校した者は他の児童と共同遊戯するを禁ずるなどその予防措置を達していた。

 郡長は翌八年二月五日現在の南埼玉郡内の感冒流行状況について管下町村長に資料を出している。これによれば、郡下の罹病者は二〇〇〇有余名で重症者も少なくない模様であり、とくに罹病者の多いのは、日勝村(現白岡町)二三八名(重症者二名)、潮止村二三〇名(三〇名)、大相模村八〇名(三五名)、越ヶ谷町六四名(二一名)であるとしている。なお、八年二月二十八日の調査によると七年初発以来の県と南埼玉郡の罹患者および死亡者は第17表のとおりで県全体では人口の六一%が罹患し、七三五一名が死亡していたことがわかる。

第16表 流行性感冒調査表(大正8年2月28日調査)
大正7年末現住人口 大正7年初発以来罹患者累計 罹患者百分率
埼玉県合計 1,293,518 793,171 61.34
南埼玉郡 137,670 81,377 59.11
第17表 流行性感冒死亡者調査表(自大正7年10月15日至同8年2月28日)
流行性感冒 肺炎 気管支炎 気管支肺炎 気管支カタル 合計
埼玉県合計 2,262 3,373 195 689 832 7,351
南埼玉郡 262 415 15 93 87 872

(両表とも出羽村庶務部大正6年から作製)