大正五年頃における越ヶ谷町の農地作付反別は、粳米一二八町一反歩、糯米一四町二反歩、陸米一町二反歩で計一四三町五反歩、畑では大麦四六町歩、小麦七町九反歩、裸麦四反歩で計五四町三反歩であった。このうち出荷高は粳米二五六二石、三万三三〇六円、糯米二五六石、三五八四円、陸米五石、五九円、大麦五五〇石、二四七五円、小麦八六石、八六〇円、裸麦五石、二五円、総高三四六四石、四万〇三〇九円、このほか「食用特用農産物」六六五〇円の出荷額をあげていた。
また越ヶ谷町農会では、同町の農業の発展をはかるため、積極的な諸事業を実施した。たとえば大正五年度の事業をみると、苗代や本田の改良指導・米麦塩水選種の実行・病虫害の予防指導・俵装の予備検査・小作人の精神的開発・農作成績優良者の表彰などを行い、多大な成果を収めたという。