越ヶ谷町の工産物

509~510 / 1164ページ

越ヶ谷町の工産産額は、年間八万九〇〇〇余円に達したが、このほか周辺地域から集まる藁縄・莚・草鞋など藁工品の商取引は約一〇万円、販路は東京・北海道・群馬・栃木・茨城地方にわたったが、その品質の良さから各地で好評を得ていた。この主な取引店は鍛冶忠・喜京屋・角久・角太などであった。

 また越ヶ谷町の工産物には、味噌・菜種油・雛人形・塩煎餅などがあった。このうち味噌の産額は年間三万八六七三円、販路は主に東京であったが、この醸造者は八百喜・釘太・糀屋が有名であった。ことに釘太と糀屋は大相模の斎藤商店とともに、大正三年の御大典記念京都桃山博覧会では、優良品として金牌を受領した。人形の越ヶ谷雛は古くから著名であったが、その製品の素朴さを保って流行に追従しようとしなかったため人気が振わず、当時衰退していたが、それでも年間一万円程度の取引があった。製造元は植木屋と雛銀の二軒であり、販路は静岡と茨城であった。

 塩煎餅は越ヶ谷町だけでなく、大沢町でもつくられ、その数は七〇軒を数えたが、産額は年間越ヶ谷町で九〇〇〇円、大沢町で五〇〇〇円である。主な製造者は丸屋・八百庄・魚久、それに大沢町の稲葉屋などであった。元来越ヶ谷の煎餅は、良質な越ヶ谷米を原料とし、本場の野田醤油で味付されたので、その風味は格別であり、東京などの食通は争ってこれを求めたという。このほか大沢町に桐箱の生産が盛んであったが、ことに大沢町の黒田製板工場は動力機械を導入、ライオン歯磨の桐箱月間三〇万個を産出していた。