その他 

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なお「大沢橋から大蛇がでても、大沢通いはやめられぬ」と俚謡にもうたわれ、日光街道の名物の一つに数えられていた大沢町の花柳界は、当時三桝家・分三桝・出羽家・宝来家・新叶・新宝家の六軒が営業を続けていたが、客足は絶えなかったという。また料理屋では越ヶ谷元荒川端の川魚料理と天ぷらの天芳楼と、それに三層楼で著名な加賀屋が第一流を誇り、牛肉の内河屋、天ぷらの島田屋も盛況であった。大沢町ではうどんやが老舗を誇り、このほか浩養軒・芳村・大柳亭・山本屋などの茶店があった。旅館では越ヶ谷町の河内屋、大沢町の大松屋が昔からの旅籠として存続していた。

加賀屋の三層楼(「越ヶ谷案内」から)

 医院では歯科の早川医院・筋医院、内科外科の山田医院、同じく松花堂山口医院、同じく回陽堂森田医院、同じく大沢町の飯田医院、耳鼻咽喉科の野村医院などがあった(『越ヶ谷案内』)。