桜井村大正元年度における作付反別ならびにその収穫高をみると、米の作付が二五六町六反歩、当年は不作年であったので一反歩当りの収穫は一石七斗で四三六二石余であったとある。大麦は一五〇町歩、一反当り二石五斗で三七五〇石、裸麦は一六町歩、一反当り田作で一石、畑作で一石三升合計一三五〇石、小麦は一七六町歩、一反当り田作で一石、畑作で一石二斗、計四〇六二石となっている。このほか食用特用農産物のうち主なものの作付反別及びその収穫高は第18表のごとくである。その多くは畑作物とみられるが、なかには二毛作による作物も含まれる。因みに桜井村は乾田二〇〇町歩、湿田五五町歩の地積であるが、実際に二毛作を行なっているのは五七町歩と少ない。この理由は、労力の不足とともに、二毛作の作付は収支償わないためといっている。
種別 | 反別 | 収穫高 | 1反歩当り |
---|---|---|---|
町 反 | 石 | 石 | |
大豆 | 12.5 | 104 | 0.8 |
小豆 | 2.0 | 14 | 0.7 |
豌豆 | 0.5 | 1.8 | 0.75 |
蕎麦 | 10.0 | 80 | 0.8 |
蜀黍 | 5.0 | 60 | 1.2 |
甘藷 | 3.0 | 10,550貫 | 350貫 |
馬鈴薯 | 1.0 | 2,500 | 250 |
午蒡 | 1.0 | 3,500 | 350 |
葱 | 1.0 | 2,300 | 230 |
漬菜 | 1.5 | 5,850 | 390 |
茄子 | 1.2 | 4,440 | 370 |
胡瓜 | 1.0 | 3,500 | 350 |
桑葉 | 3.5 | 5,250 | 150 |
菜種 | 13.5 | 7.9石 | 0.67石 |
また果実では梅七〇〇本が栽培され、この収穫は一四〇石、主に千住へ出荷されるが価格は一石あたり三五〇円、生柿は三〇〇本、一五〇石の収穫で同一五〇円、漁獲物では泥鰌三〇〇貫この価格は三〇円、鰻一〇貫同二五円、鯰五貫同三円、鮒二五貫同一二円、鯉八貫同一二円、雑魚五〇貫同一二円である。さらに養蚕農家は当時八〇戸を数えたが、その掃立枚数は二〇枚、種別では繭が一〇石でこの価格二二〇円、玉繭一石同一二円、屑繭一石同八円の生産をあげている。家禽では、鶏の飼養戸数一〇羽未満の農家が一五〇戸、五〇羽未満の家が五〇戸を数え、年間三二〇羽、一羽当り三五銭の価格で総額一一円二〇銭の鶏肉、それに鶏卵五〇〇貫同六五〇円を同じく千住の業者に卸していた。
さらにこれら農産物の収穫高を、大正四年度の蒲生村でみると、米は六〇二六石でこの価格七万八二〇五円、麦類は一一七七石で同五二九六円、豆類は二七二石で同二五〇三円、菜種は四二石で同三八九円、繭は八石で同一九〇円、果実は一一六四貫で同三四七円、その他が二六三〇円、鶏肉が一四八八羽で同五三六円、鶏卵が六万二四〇〇個で同一二四八円、その他が二五〇円、魚獲物は九七貫で同一二四円、このほか萱が一六万三二〇〇束で同五四四円となっていた。
また購入肥料・自給肥料の種類をたとえば桜井村大正十年度でみてみると、購入肥料では鰊〆粕などの魚肥類は二万四〇〇〇貫でこの価格は一万八九九九円、大豆粕などの植物肥料が一万五〇〇〇貫で同一万一五五〇円、糞尿五万貫で同七五〇〇円、燐酸質肥料が一五〇〇貫で同三九〇円となっている。一方自給肥料では、人糞尿六万七〇〇〇貫、家禽糞五六〇〇貫、堆肥五八万三五〇〇貫、刈草二二万五〇〇〇貫、厩肥三万五〇〇〇貫、藻草七万五〇〇〇貫、紫雲英(れんげ)一万貫、草木灰三万五〇〇〇貫で、肥料の自給度は高かったようである。